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グズグズしすぎ

さて、前回述べた「取っ組み合い大喧嘩」エピソードは大変端的にマヤと亜弓のキャラクタ説明がされてる場面でもある。
マヤは天才的な演技力を持つにも関わらず、そもそもの育ちがコンプレックスとなっているのかいつも自信なさ気で第三者には卑屈に感じられるような態度や振る舞いをしてしまいがちな娘である。
亜弓(さん付けしたいところだが、統一性を保つため止めにしておく)は、本音をなかなか表に出せない警戒心の強い娘。友達がいない淋しい人。努力の人なので天才の人ととらえられてしまうことを苦痛に感じている。


ワタシは貧しい暮らしの中で底辺から夢の頂点へ上るため邁進して成功し一転して失脚し、また這い上がろうと情熱を燃やすマヤが大好きだった。「100万の虹」編~「冬の星座」編~「紫の影」編が最もワタシの好きな流れである。
芸能界を追われてしまったマヤがいつの日か必ず再び自分と同じポジションまで這い上がってくると信じて疑わない亜弓は「まってるわよ」というただ一言の激励をおくる。マヤはこれに奮起し、再びなにも持たずなにも与えられずの状況からたった一人で再び紅天女を目指して歩き始める。類まれな才能を持っている自分がよくわかっていなくて自分を卑下しがちなマヤだったが、大きな試練をひとつひとつ自分の力で乗り越えていくことで少しずつではあるが自信をつけていき次第に観客の賞賛を得ていくのだが、これが最もマヤがポジティブな時期である。絶望の中でも決して希望を捨てなかったのだから、ぐずぐずしがちなマヤにしてはでかした!である。

しかしこの後「紅天女」編に入ってからのマヤというのは、自分の恋に悩んではぐずぐずし、亜弓の演技の技術力の高さを見せ付けられてはぐずぐず悩み、とまるで振り出しに戻ったかのような姿である。それでも紅天女のためのエチュードは独創的な閃きと演技を見せてそこは主人公として堂々たる姿なのだが、反面妙な天然っぷりが水のエチュードあたりから特に多く見られて、そこがワタシにはイラッとさせられる。
考えて考えた末に論理的に自分の演技を作り上げる亜弓と、直感的に閃いた感覚で演技するマヤとの対比の姿を描いているのはわかるが、マヤの言動がなんというか全般的にバカっぽくて、亜弓がそこにイラッときてる描写にとても共感してしまう。マヤは確かにそれほど頭がいいわけではないが、さまざまな経験がマヤを大人に成長させてきたはずで、勉強はできないかもしれないが再起のために奮起するマヤは決してバカなお嬢ちゃんなどではなかった。

紅天女を目前に控え神経を張り詰めて緊張し、しかし勤めて冷静に理知的であろうとする亜弓のまとう空気は近寄りがたいものであるはずだ。しかしそれを全く意に介さないかのようなマヤのマイペースっぷりは頼もしいといえば頼もしいが、マヤなりに真剣に演技に取り組んでいるとはいえ、どうにも緊張感が薄く感じられて、むやみに演じることに心躍らせたりしている描写が多くて、正直そのバカっぽさにひいてしまうこともしばしばだ。能天気に見えてしまうのだ。一方恋のことではこれでもか!というほどにぐずぐず悩んでいるので、まあこれに関しては状況が状況なので致し方ないとしても、マヤの天才的な演技を第一に楽しみにしているワタシとしては、ぐずぐず続きはうんざりだ。


(続きます。)
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姫川亜弓について考える その3

ちょっぴり意地悪なライバル役に見えた亜弓が、一転してマヤの唯一無二の好敵手という好印象になったのは、ワタシが読むに耐え難く感じる「華やかな迷路」編後半からである。読み飛ばしがちなこの章でも、亜弓のマヤへの「紅天女」を通じた友情が感じられるこのエピソードは必ず読むようにしている。

世間を大いに騒がせたスキャンダルによって人気アイドル女優の地位を一気に失い芸能界での明日をも知れぬ状態に陥ってしまったマヤが、実は仕組まれた罠に嵌められてしまって芝居が出来ない状態に追い込まれたという事実を亜弓は密かに知ることとなった。そこで亜弓はマヤの敵討ちと云わんばかりに、その罠の実行犯のひとりの初主演の舞台上で、秀でた演技という武器でこてんぱんに打ちのめすのである。『ガラスの仮面』ファンの大半がきっと大好きであろう「カーミラの肖像」のあたりのエピソードである。

亜弓はそもそもマヤのスキャンダルそのものを疑っていた。自分の唯一無二のライバルがそんなつまらない事をするはずがないと信じて疑わなかった。それまで断固として拒否してきた親の七光りをも利用しまくってまで
マヤの敵討ちに力を注いだ。もうこれだけのものを見せつけられて、亜弓を好きにならないはずがないではないか。

亜弓は幼い頃から大人社会を見つめてきた。有名映画監督に人気女優の両親の威光の恩恵にあやかろうとする下心を持った人間を幼いながらも冷静な目で数多見極めてきたに違いない。自分もまた有名天才子役として活躍するようになって、下心を持った取り巻きに囲まれる機会が増えていっただろうから次第に警戒心が強くなっていったに違いないと思う。「親の七光り」に対しても相当にコンプレックスがあっただろうから、その警戒心というのはかなりのものだったであろうことは容易に想像できる。
そして亜弓は心から信頼できる友人というものを作れない少女となった。自分の本音を曝け出せる人物は、もう一人の「紅天女」の候補者である北島マヤだけだった。


紅天女の基本を学ぶ修行の最終日、亜弓とマヤは雨の中取っ組み合いの大喧嘩を繰り広げる。


マヤ「あたし亜弓さんのこと尊敬してた・・・!すばらしい人だと思ってた。それなのにひどい・・・!」
亜弓「あなたが勝手に思いこんでいただけよ!ほんとうのわたしを知ろうともしないで・・・!それが迷惑なことだってわからないの!?」
マヤ「わからないわよ!いつだって亜弓さんとりすましていて自信たっぷりでほんとうの気持ちなんて話したことないじゃない!」
亜弓「あなたこそいつも自信なさげで上目づかいにひとのこと見て卑屈だったらありゃしない・・・!あなたみたいなひと大きらいよ!」
マヤ「あたしこそ亜弓さんみたいな高慢ちきは大きらい・・・!」
亜弓「いったわね!」
マヤ「いったわよ!」
亜弓「わたしのどこが高慢ちきなのよ!」
マヤ「いつもとりまきつれて女王さまみたいにいばってるじゃない・・・!」
亜弓「勝手に集まってくるだけよ、ほんとうの友達なんてひとりもいないわ!わたしのこと、よく知りもしないで勝手なこといわないで・・・!あなたみたいにいつも仲間に助けられてぬくぬくしているひとにはわからないのよ!わたしはいつだってあなたががうらやましかったんだから・・・!」
マヤ「えっ・・・?」
亜弓「そうよ・・・わたしにはとりまきはいても仲間がいない・・・。どんなに華やかにみえても、ほんとはいつもひとり・・・。どんなにあなたがうらやましかったか・・・」

以上一部抜粋したが、こういった遣り取りで本気の取っ組み合いの喧嘩をふたりは繰り広げる。
翌日の亜弓の心象独白、

「北島マヤ・・・、きっとあなたはほかの誰よりもわたしの近くにいる・・・。きっとあなただけだわ、ほんとうのわたしを理解できるのは・・・。そして舞台の上のほんとうのあなたを理解できるのも、おそらくはわたしだけ・・・。誰よりも近くて、誰よりも遠い存在・・・。」


もうこうなったらもはや恋ですわな。
いや、これは正統派の少女マンガなのでそーいった方向に話は流れていくはずもないのだが、しかし亜弓には本気でぶつかり合える人間はマヤしかしないのである。

亜弓は少女の頃から、人の期待する「演技の天才少女姫川亜弓」を演じることを己の義務のように課してきた。それは下心を持った人間への警戒心の表れでもあっただろうし、実は本音を語り合える友人を持たない淋しい自分へのシールドでもあったのだと思う。
こういったエピソードを読むにつれて、亜弓さんっていうのは愛おしくなるキャラクタなんです。「亜弓」ってここではあえて書いてますが、ホントは「亜弓さん」の方がしっくりくる。


(続きます。)

姫川亜弓について考える その2

マヤが芝居の世界に踏み込んだのは13歳の時。偶然出会った月影千草にその計り知れない才能を見出されたのがきっかけだ。
亜弓が自分の意思で芝居の勉強をし始めたのが小学校3年の時。それ以前にも父親の映画に2本出演したことはあったが、本格的に稽古し始めたのは9歳前後からである。以降、子供にしては考えられないほどの努力と鍛錬を積み重ねその才能をのばしていき、一躍天才子役として世の中にその名を馳せる。
亜弓は人知れず努力して努力して実力をつけてきたのだ。努力した結果の自分という存在に誇りも持っている。「努力をそれほどしていない人に負けるはずがない」という考えを持っていたに違いないからこそ、初期の上から目線だったように現在では思う。努力至上主義といったところか。
しかしマヤはその天性の才能だけで経験の少なさをカバーできてしまうほど観客を惹きつけられる底知れない力の持ち主なのだ。そこが亜弓には理解し難くもあり羨ましくもあるのだろうが、芝居を純粋に心から愛し心から本気で演技に取り組む姿に共感を覚えるからこそ、亜弓とマヤは唯一無二の好敵手となるのである。
マヤは「天才型」で亜弓は「努力型」なのだ。

しかし亜弓が非常に優れたDNAの持ち主であることはそもそも疑いようがない。人はどれだけ努力してもその才能には個人個人でやはり上限があるのが普通だ。上限を超えようと相当の努力を積み重ねてもそれを突破するのは並大抵ではないどころか、やはり稀である。それが出来るのはそもそもそれだけの底力を秘めていたという裏付けだと思うし、生きる環境に左右されることも多い。苦難と困難を乗り越えてなにかを成し遂げる人はもはや偉人である。一般的にそうあることではない。

亜弓は芸事にしろ学業にしろ平均よりも元々優れた能力があって、その上で尋常でないほどに努力し鍛錬し、世の人々に天才と賞賛されるほどの能力を発揮している。格式も高ければ偏差値も高いらしい名門私立校に通っていて、仕事が多忙で欠席日数がどうしても多くなるにも関わらず成績は常にトップクラス、日舞・バレエ・ピアノ等はプロ並みの腕前、ということらしい。それを具体的に描写したシーンがある。

「ふたりの王女」の稽古が始まった頃、亜弓がマヤを自宅に招き、役をつかむため互いの生活環境を取り替えないかと提案する。家の中を案内され調度品等の説明を受けるマヤ。あるトロフィーが目に入ってからの描写。

マヤ「これは?」
亜弓「ピアノコンクールに優勝したときのトロフィー。中学生のときよ。」
マヤ「すごいわ、なにをひいたの?」
亜弓「ラフマニノフのピアノ協奏曲」

亜弓さん・・・!おそろしい子!
協奏曲何番だかわかんないけど、お稽古事レベルではないはずですぜ!
スーパーすぎる。はっきり言って雲上人である。


(続きます。)

姫川亜弓について考える

姫川亜弓は国際的にも有名な映画監督を父に、有名人気女優を母に持つ。
しかし画的に見る亜弓の生活は一流芸能関係者のそれを遥かに越える上流階級っぷりだ。メイドさんが何人も家の中で働いていたり外出は運転手付だったりのスーパースペシャルゴージャスなお嬢様、それが姫川亜弓なのだ。

映画監督ってそんなに儲かるもんか?カンヌ国際映画祭にノミネートされるような作品を作ってるそうだけど、パルムドール候補ってこと?そのへんの詳しいことは描かれていないのでよくわからないけれど、たんなる商業映画でなくて芸術的大作を撮るような映画監督のようだ。さしずめ「世界の黒澤」のような著名な映画監督なんだろう。でもそんな馬鹿儲けする仕事だと思えない。興行成績はもちろん大事だろうけど、作品が娯楽志向でなく芸術志向なら、尚更儲けと作品完成度のバランスはとりにくいものだもの。
人気女優だってたかが知れてないか?いやそりゃもちろん結構なギャラなんだろうけれど、でも貴族のような暮らしができるほどには稼げないと思う。
ハリウッドのトップクラスともなればそーいうものかもしれないけれど。なんかハリウッドのトップクラスって桁違いの暮らしみたいだもんね。亜弓の暮らしぶりはそーいう雰囲気にも似てて、もしかしたら父親か母親のどちらかがそういう日本のかつての貴族階級の家の流れをくんだりする名家出身とかなのかもしれない。嗚呼そうか、姫川亜弓はまさにハリウッドセレブの申し子みたいなものだと理解すればいいかもしれない。
このあたりは憶測の域を超えない。とにかく父は有名映画監督、母は人気女優という説明しかされていないので。とにかくマヤとは対照的な、なに不自由ない生い立ちなのだ。しかしなに不自由ない暮らしの中でも亜弓の自尊心を傷つける出来事は存在する。

亜弓は幼い頃から次第に「有名な両親の子」としてしか自分が第三者から見られていないコンプレックスを抱くようになる。
ワタシはごくごく庶民の生まれで、親を筆頭に先祖代々極々庶民という平凡の極み、何者でもない只人であるから、親の七光りの恩恵にあずかれるという心強いまでの後見がある環境を羨ましく感じないでもないのだが、努力の結果も親の威光のおかげのように人に受け取られてしまうなら、正当に評価されない虚しさに性格がひん曲がってしまうかもしれない。
しかし亜弓はそんな状況に屈したりは決してしないほどに、清く正しく美しくそして強い心根の持ち主の少女だったので、あらゆることに尋常ではない努力を積み重ね、親の七光りなどではない、自身の実力を周囲の人々に知らしめるようになる。血の滲むような努力の跡をひけらかしたりすることがない上品なお嬢様である亜弓だから、人は亜弓のやる事なす事の結果を見て「天才」と賞賛するようになるけれど、亜弓はそう思っていないことが独白でわかる。


「演技の天才少女姫川亜弓・・・わたしは努力して、ひとのいう”天才”になっていたにすぎないわ・・・!
ほんとうの天才は・・・北島マヤ、あの子!」


亜弓は初対面の時からマヤの演技の才能を察知し評価していた。
しかし作品初期、亜弓がマヤをいじめたりする事は決してなかったけれど、どうにも上から目線でマヤを見ることが多くて、ちょっぴり意地悪な言葉を投げたりしてあまり印象がよくなかったのは、亜弓がまさに「努力の人」だったからだと考える。


(続きます。)

マヤの挫折~「華やかな迷路」編その2

「奇跡の人」のヘレン・ケラー役でアカデミー助演女優賞を受賞したマヤは、月影の意向で敵対関係にあった大都芸能の所属女優となる。急速にスターに仕立て上げようとする事務所側の、というよりは真澄の意向に翻弄されながらも目の前の演技に必死に取り組むマヤだが、なにも持つことなく身一つで生きてきたマヤが、それまでマヤを守るようにそばにいた善意の第三者から切り離され、周囲の言うがままに無理矢理多くのものを持たされることになったのだ。マヤは芝居のこと以外に全く知恵がまわらないし、なにも抱えたことがないものがいきなり訳もわからず多くのものを与えられ持たされて、上手く立ち回れるはずがないのだ。
環境を与えればどうにかなると云わんばかりの速水真澄のやり方だが、マヤにそういった面での教育を一切しなかったのが致命的である。マヤ自身別にスターになりたいわけでもなくただ芝居が好きなだけで、いつかは師匠である月影千草がかつて演じた「紅天女」を演じられる役者になろうと芸の精進には誠心誠意励むものの、その他の芸能界を生き抜く知識や渡世術は全くの人任せなのだ。演じること以外に関心があまり向かないせいである。

速水真澄は話題作りの一環としてマヤと春を劇的に再会させる計画を立てるのだが、最良のタイミングが訪れるまで春の居所をマスコミに察知されないように、春を監禁同様の状況に置く。春は結核を患い行き倒れていたところをある山奥の療養所で保護してもらいそのままそこにいたのだが、栄養失調が原因で目が不自由になっていた。真澄はその療養所の院長を買収し、春にアイドル女優として世間の人気者になっている娘のマヤの情報を一切耳に入れないように、春が一切誰とも接触しないように監視させていた。
これが無事母子再会できていたのなら不問にできたかもしれないが、春が偶然にもその計画を知り、盲目の身で決死の覚悟で療養所から逃げ出しマヤに会いに行こうとする。結核で弱りきった身体の上、途中で車と接触し頭部を強打する。命辛々辿り着いたマヤの主演する映画が上映されている映画館で、マヤのセリフを聞きながら死んでいくのだ。
もうこのエピソードのせいでこの章は読むに耐えない。何度読んでも泣いてしまう。実はこれを書くにあたって避けて通れないし確認も必要なためこの章を読んだけれど、やはりこの春の死あたりは泣いてしまった。

春は母として娘であるマヤをとても愛していたし大切に思っていた。ただ切迫した家計に追い詰められたような心理状況と不器用な性格からか否定的な言葉ばかり娘に投げかけてしまっていただけなのだ。しかし親子というのはほんの少しのふれあいで気持ちの行き違いを乗り越えることができるものだろう。その機会をこの母子は他人の欲や思惑に振り回されたあげく永久に奪われてしまったのだ。
もっと若かった頃のワタシはこのエピソードを母を失ったマヤの立場で読んでいたのだが、現在では母親としての春の立場で読むようになった。だから余計に辛く悲しくなる。
マヤが母を思うシーンはところどころに挿入されているが、春がマヤを思うほどに深刻さはない。いつか会えるはずだと信じて疑っていないのだ。まさに「孝行をしたい時分に親は無し」がわからない幼さなのだ。
春は自分の身体の衰えがよくわかっているしそう長く生きられない予感があっただろうからこそ、マヤに一目でいいから会いたいと切望していただろう。遠く離れた存在の自分の娘を一目見ることも叶わず、ただ娘の健康と無事と成功を祈って死んでいったであろう春の死が無念すぎる。

この母子は世の中を生き抜くにはあまりに不器用なのだ。もう少し春もマヤも上手く立ち回り賢く状況判断できていたならこれほど辛く悲しい別れをせずにすんだかもしれない。
春を監禁するのでなく他に方法はいくらでもあったろうと思う。例えば春に計画のすべてを打ち明けて大人しく時機を待つように説得すれば母子は無事に再会できたはずだ。

さらに春の死をきっかけにマヤの立場を奪おうとする輩が陰謀を企て、マヤはまんまとその罠にかかってしまう。これによりマヤは芸能界から追放同然となり女優生命が絶たれる状況に陥る。
ここでの真澄の対応もどうにも腑に落ちない。CMを降ろされたりドラマの役を降ろされたりは、本人の意思に関わらず世間を騒がせたスキャンダルのせいでどうしようもないのだから、ほとぼりが冷めるまでじっくり謹慎という形をとり再起のチャンスを待てばばよかっただけなのに、マヤを想う一心のあまりにか、時期尚早に復帰させようと試みるがすべてことごとく失敗するのである。マヤ自身が早い復帰をそう望んでいるわけでもないのだから、ここは真澄の完全な計算ミスなのだ。本当に仕事が完璧にできる奴なのか?と疑いたくなる。

で、もちろんこれはマンガで、このあたりが主人公の新たな歩みへの前哨だという作者の意図は当たり前だが読者としてわかっているのだけれど、主人公が苦境に陥って八方塞になっている様子ばかり立て続けに見せつけられるものだから、どうしても読むのが辛いのだ。
順風満帆ばかりのヒロインなど別に魅力を感じないけれど、それでもこのマヤの逆境は読むに耐えないエピソード続きで、何度も通読した『ガラスの仮面』であるがこの「華やかな迷路」編はとばして読んでいることが多い。
ただしこの読むに耐え難いエピソード続きの中で、初期意地悪ライバル役に感じた姫川亜弓の印象が180度変わるエピソードも含まれていて、そこはとても好きだ。


(続きます。)
いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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