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世はすべてこともなし

連日37℃とか38℃とか理解したくもない熱攻撃だもので、ふいに32℃やら33℃やらの空気になると「いやー涼しいじゃあないかー」などとどこか恐ろしい言葉を思わず口にしてしまうあたり、いやはや猛暑、いや酷暑こえーといったところか。
けれども、死にはしないだろうけれど本気で倒れるかもと危惧した一昨年の夏の酷暑を思い出すに、いやもうあれよりまだ全然マシ、大丈夫、と感じていて(実際のところどーなんですかね?同等?それとも今夏の方がキツイの?)、五輪中継観なきゃいかんしドンと来いってなもんで。ええ五輪寝不足です。


閑話休題。
過日、CSでアニメ「赤毛のアン」を放送していて偶然見たのだがそりゃあもう懐かしさ全開で観入った。何十年ぶりに観たことだろう。世界名作劇場放送当時ワタシはまだ小学生だったのだから。しかしこの時はせいぜいアンがひたすら夢見がちで奇妙なでもなかなかに頭の良さ気な口のよくまわるヒロインにしか感じられず、話の展開も事件性というにはあまりに生活観溢れすぎる流れで、ただなんとなく見ていただけだった。

後に海外児童文学を少しずつ読み始めるようになったワタシは「赤毛のアン」シリーズも一応読むには読んだのだが、それがヒロインの大河ドラマだとだけ漠然とは分かってもそれ以上の大きな感慨を持つことはなく、ただシリーズを読破することに集中したように思う。

長じて、改めて読み直す機会を得、グリーンゲイブルズの美しい風景の描写やアンの成長を楽しむことができるようになり、児童小説は大人になってから読み直すとまた違った視点で読んで楽しめるものなのだなぁ、と感じた。しかしこの時点でももはやそこまでの感慨だったのだ。


で前述、偶然アニメ版を見た時、下の娘が面白気に一緒に見ていたので、これは元になる有名な本がシリーズであるのだよ、と教えてやると、これは全体どういったお話なのだ?自分も読んでみたい、と言い出した。
読みたいという気持ちは大いに結構なのだが、なにしろまだひらがなの書き取り練習をしているような年齢の娘には読破には最低でも数年の待機時間が必要な文章量の小説なのだ。
考えて、図書館で”アニメ絵本”なるダイジェスト版ともいえるかもしれないものを借りて読むことを提案した。ずいぶん娘は喜んだので、せっかくだから話題を合わせるべくワタシも久しぶりに小説版を読み直すことにした。


五輪中継を横目に読み始めたのですけれどね、児童小説というよりはああなんと美しい少女小説なことか。
アンがもはや実際のワタシの上の娘とほぼ同じ年の頃というのもあって、もう感情移入の仕方がこれまでの感慨と大きく違うのだから、まったく小説というものは恐ろしく素晴らしいものです。

アンのそそっかしさや夢見る奇妙な発言もなにしろ微笑ましいばかりなのだけれど、なにより自分のアンを見つめる目線がマシュウとマリラのそれになっているのだ。
子供どころか伴侶すら得なかったマシュウ、マリラ兄妹は正しく偏屈ともいえる身を律した暮らしをひたすら送り続けるだけですっかり年老いて、生活の華、潤い、生き甲斐といったものから無縁だったのだ。
そして年老いた兄妹の地味で堅実な彩のない暮らしにハプニングで訪れた孤児の少女は天使のように微笑みをふりまくのだ。それがどれだけ素晴らしきことなのか。
いかん、もはや泣けてくる。


シリーズ続きも読んで大いにニコニコしたいと思う。




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名探偵・紫式部

ずいぶんと前のこと、書店で見かけた「異本源氏物語 千年の黙」の帯には
「帝ご寵愛の猫、幻の巻「かかやく日の宮」ふたつの消失事件に紫式部が挑む!」、さらに
「第13回鮎川哲也賞受賞作」
とありなるほどミステリなのかと把握したものの、いやいや、紫式部で源氏物語でそれが一体なにがどうなって本格ミステリが成立するの?と、もうそれはそれはワタシのハートを鷲掴みにする見事な文句だった。

それからまたずいぶんと時が流れた過日、その続編というかシリーズである「逸文紫式部日記 白の祝宴」と「覚書源氏物語『若菜』 望月のあと」を読んだのだが、ああ面白い、とてもとても面白い!なんの捻りもない感想で申し訳ないが、ホント面白かったです。


古典に興味が無ければ、というか源氏物語に一切興味が無ければ、このシリーズはまったく面白いものではないかもしれない、と思う面は確かにある。しかし紫式部に源氏物語といえばどれだけ古典に興味がなくとも否応なく学校でなにかしら教えられたものだから、舞台設定がさっぱり訳分からん、とか何言ってるんだか意味分からん、ってことはないだろうし、むしろ氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」に似たようなノリがあると思う。

「ジャパネスク」は大納言の一の姫たる瑠璃がバンバン外を出歩くあたりかなりパラレルワールドな具合ではあるが、現代人としては瑠璃の行動力は小気味よく感じるし、瑠璃ほどではないにしても、ホームズよろしく探偵役である紫式部と、ワトソン役たる紫式部のプライベートの部下の女房阿手木は結構な行動力で謎を解き明かそうとするし、彼女たちの縁ある身分の軽い者たちは彼女たちの手となり足となり颯爽と都を駆ける。
おじゃる~な世界観の中で生き生きと行動する人々の描写は本当のところの当時の身分ある者の領分の姿ではないだろうが、フィクションなんだし想像の世界は自由だ。


宇治十帖についてまだ触れていないからということで更に続編を構想、といったことを作者が言及しているのでとても楽しみにしている。


♪とれたての~たーまーごー

短編集とはいえど小説を1冊きちんと読みきったのは本当に久しぶりのことだった。近藤史恵「サヴァイヴ」である。同作者の「サクリファイス」「エデン」の同シリーズ外伝といったところの短編集だ。(「サクリファイス」「エデン」についてはこちら)前2作の主人公と彼のかつてのチームメイトらの過去と未来の逸話である。

以前面白く読んだシリーズの外伝短編集だから読みきることができたのか、と思うところもあるにはあるのだが、久々にきちんと読むことができたしその上面白かったのだから、まあ難しいことは考えないことにして。


何度も何度も読み直している好きな小説だと話も文章も覚えているから好きな場面や段落などだけピックアップして目を通したりしていたのだけれど、初読みのものは中編、長編小説の読みかけが山積みになってしまっていてる。目が滑って同じ段落を何度も読み直しているうちに集中力が途切れるわ読み進めようとしても寝落ちするわ、で如何ともし難い自分の状態に苛立ちを覚えたりもしていたのだ。


「サクリファイス」も「エデン」もそうだったけれど「サヴァイヴ」もなんというか、ストーリーもののマンガを読んだ後の気分。読みやすいってのは決して悪いことではないけれど。でもそれと面白いと思った感想もまた別物なので、ね。
ああ面白かった!って思えたらそれがジャスティスだと思う。


UEFA EURO2012開催中、数年前制作のクリスティアーノ・ロナウドのドキュメンタリをたまたま観たのだが、「あー”マスゴミ”なんてネット民は上手いこと言ったもんだけどそんなん日本だけかとちょっと思ってたのにヨーロッパも全然変わらず同じく”マスゴミ”だわー」と思う場面があった。
「サヴァイヴ」の一編で「サクリファイス」「エデン」の主人公白石誓がちょっとそんなマスゴミ洗礼的な目にあう描写があったり、他にもプロスポーツの選手は実力が物を言うだけでなくやはり人気商売な面も強くあって更には資本の思惑に振り回されたり、なんてのもあったり。
ステレオタイプな設定なのだけれども、チカがパリ~ルーベに出場してともかくにも完走した、なんて読まされて、ニヤリとしないわけがない。


現在開催中のツール・ド・フランス2012の第4ステージでチームユーロップカーの新城幸也選手が果敢な攻めの逃げが評価されて敢闘賞を受賞し表彰台に上って祝福された。
夢物語でなく現実の賞賛に笑顔で応える新城選手の姿は、ああなんかエエもん見せてもろたわー、ってため息がこぼれるほどだった。







ファンの愛ゆえに

人気連続ドラマが最終回を迎えてのちに後日談の特別編が制作されて評判上々なんてことはしばしばあるし、小説がシリーズ化してお馴染みの登場人物の性格や私生活の描写が掘り下げられていったりするあたりにファンが喜んだりするのも多いだろう。

好きな小説や映画、ドラマやマンガの登場人物たちの本編には描かれていない日常や本編終了後の生活を想像することはないですか?
ワタシははっきりきっぱり言って、幼い頃からむちゃくちゃありました。今もそーいうのものすっごい想像というよりは妄想する性質です。

こういうのは女性に多いのかしら?
いやぁ、きっと男性にもいっぱいいるわな、きっと。

で転じて、もしも~だったら?的な妄想も繰り広げませんか?
例えば不幸な立場に陥らざるをえなかった登場人物がもしも転機に別の選択をしていたらきっと結末はこう変わったに違いない、みたいな、そんな想像というより妄想。

その作品が好きすぎて作者の思惑以上のことを想像というより妄想してしまうのがファンの愛といいましょうか。インターネットの世界は凄まじいほどにお素人の妄想が氾濫していて、みんな結局”そーいうの”が好きなんだなぁ、ともはや感心させられる。


おせいさんこと田辺聖子氏の『私本・源氏物語』『春のめざめは紫の巻』は、氏の源氏物語への愛が生み出したであろうパロディ小説である。
ワタシが女子高生だった頃に偶然書店で見かけて入手して以来何度も読み直し現在も年に一度は目を通したくなる作品だ。

絶世の美男子である光源氏の原典には決して描かれることがないごくごく私的な側面を、おせいさんが想像というよりは現代風に妄想して描いていて、光源氏と関わりのあった女人らも、原典の儚くも美しい様とはきっぱりと一線を画し、しっかりと意思を持って恋路に立ち向かう姿が面白おかしく描写されている。

いつ読んでも愉快な気持ちになる。さあ明日も頑張りまひょか、という気持ちになる。そしてなにか美味しいものを食べたくなる。また、気取らず飾らずの中年っていうのもそれ相応の色気があって楽しいでっせ、と励まされるようだ。


源氏物語についてはこちらでもお話しているのでよろしければご参考に。




自転車とランニング

下の娘が通う幼稚園では、年長組の子らだけが一輪車で遊ぶ権利がある、というお約束があるらしい。一輪車の台数の問題と安全面を考慮した上でのお約束なのだろう。
娘はこの春年長組に進級し、同級のおともだちらと早速一輪車にトライし始めた、らしい。
娘はあまり幼稚園であったことをワタシに話さない。ワタシもいちいち園生活のことを聞かない。必要があれば娘から言ってくるだろう、と思っているからだ。上の娘にもそういった対応でやってきたので、とかくワタシは娘たちの誰と仲がよい、とかどういったことがあった、とかいう細かなことを知らない。娘たちが話したいことだけ話せばよいと思う。
かあさんは気配や雰囲気でまあいろいろ察知だけはできますが。

さて、下の娘からはごくたまに一輪車へのトライの報告を受ける程度で実際現場を見たこともないし、一体どうやって練習しているのだかさっぱりわからないのは、ワタシが一輪車なんぞ乗れやしないからであるのだが、娘が「だいぶ乗れるようになったよー」なんて言うのも話半分で聞いていた。
ある日下園時に担任の先生に呼び止められて「一輪車ずいぶん上手になられましたよー、もう結構な距離走れるようにならはってー」と言われた。思わず「マジですか!?」と言ってしまったワタシだ。

娘の「だいぶ乗れるようになったよー」は本当の話だったらしい。話半分に聞いてごめんよ。だって、幼稚園児なんて結構なんでもおおげさに言うからさー、ってこりゃ大人の言い訳。


で、補助輪つけて自転車に乗っていた娘であるが、一輪車にそこそこ乗れるのだったら自転車なんて楽勝じゃね?と思って。そういえば「コマなしの練習したいー」って春先からずっと娘は主張していた。上の娘の卒業、入学なんかでドタバタしていてすっかりスルーしてしまっていてごめんよ。補助輪外して近所の川の堤防の遊歩道で練習開始。

上の娘の時は相方がコーチだった。なんかこれはとうさんの仕事だなーってワタシが思ったから任せたのだったと思う。
それからずいぶん時が流れ、相方はすっかり仕事中心にならざるをえない年代になってしまい、娘たちと会話したり遊んだりする時間もままならない。だから今回のコーチは不肖ワタシである。
「一輪車にそこそこ乗れるのだったら自転車なんて楽勝じゃね?」は大正解で、補助輪を外したその日にほぼ乗れるようになった。

乗れるようになったならばビュンビュン走りたくなるものだ。娘ひとりで行かせるわけにはいかないので、ワタシは走るしかない。そして娘は連日自転車に乗りたがる。思わぬランニングの再開となってしまった。
昨年の秋頃は頻繁に走っていたのだが、厳寒の冬場にはやめてしまった。半年ぶりに走るのはそれはそれは体への負担が半端なく下半身がひどい筋肉痛に襲われたりもしたが、娘はスイスイ自転車に乗れるようになったし、ワタシは久々に運動できているし、梅雨空の隙間から覗く青空はなかなか良いものだ。


ランニング、といえば、吉本ばななの『ムーンライトシャドウ』を思い出す。作者の学生時代の作品で、結構な少女マンガな雰囲気全開の作品であるが、作者の執筆当時の誠実な若さが溢れていて、大変好ましい作品である。
作中のランニングは決して幸せな健康的なものではない。悲壮感たっぷりのギリギリの精神の若い人がなにかに縋りつくように、なにかを思い出さないようにするために走っている。痛みと哀しみを纏いつつも新たな一歩を踏み出す転換期を迎える準備期間のランニングなのだ。
川を渡る橋の向こうを彼岸としたストーリを思い出し、ワタシが走る川の堤防にいくつもの大きな橋がかかっているが、その中のひとつになかなかに美しく迫力ある鉄橋があって、確かにドラマを想像させる画であるな、と日々納得する。


水際には畏怖と浪漫が混在するのだ。

なんて思いながら、娘の自転車を追ってエッチラオッチラかあさんは走る。




いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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