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『のだめカンタービレ』24巻感想

さて『アンコール オペラ編』である。
パリ編の終盤のシリアスな雰囲気はどこかへすっ飛んでいったベタなコメディーに戻っていて、初期の学生編を思い出させてくれる。ワタシとしては『のだめカンタービレ』はこうであってほしく思っていたので、とても面白く読めた。

のだめと千秋のベタ甘な恋人っぷりを見たい読者には物足りないだろうが、ワタシはちらりと匂わせるちょっとしたワンカットなんかで十分だ。千秋という男は決して人前でベタベタしない古典的むっつり系だと思っている。甘甘を直接表現されてもワタシのイメージとずれてしまうので困ってしまう。


オペラ編の連載初回は掲載誌を買ってみた。初回ということで登場人物の顔合わせ的なものでそれはそれでいいとして、どうにもページ全体がスカスカした感じで画の劣化が目についた。
パリ編で画がとても魅力的に感じた時期があって、それが終盤どんどん力を失っていったかのように見えて、しかもストーリーもどすーんとシリアスになってたし、なんだか残念に思っていた。画の変化はどんな作品にでもあることだが、勢いを失ったように感じられる(私見ではあるが)のは読んでいて悲しいものだ。
ここまで力を失ってしまったのか、と思っていたオペラ編初見だったが、今回単行本(以前から繰り返し申し上げているが、ワタシは当世の「コミック」という言葉にどうして馴染めない古典的なマンガ読みである)を読んでみて、スカスカに感じた画が気にならなかった。雑誌のページの大きさからグッと縮小されるからなのか、「スカスカ」でなくほどよい空間に感じた。これまでずっと単行本で読んできたのだから突然雑誌で読むなということなのかもしれん。「目に慣れた」ということはやはり、ある。

ストーリーは学生編のR☆Sオケ創設の頃のような感じで、ワタシとしてはこういうのが読みたかったんだよーといったところだ。のだめがブー子こと菅沼沙也に危険な臭いを感じたりするあたりがいい。千秋は容姿だけで人を見る男でなく、才能とそれ以上に努力をこよなく評価し、なにより強烈な個性の持ち主に弱い。そのあたりをさすが恋人だからか、のだめがよくわかっているかのような描写が面白い。
その最たる人はのだめなのだよ、と読者としてはニヤリとしてしまう。甘甘でなく、こういった面でのだめと千秋の関係を見る楽しみをワタシは覚えるのだ。




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クラシックを身近に

『のだめカンタービレ』がずいぶんと世間一般にメジャーなマンガとなっての一番の影響といえば、クラシックというものが身近に感じた人が増えたであろうことだろう。

根っからのクラシックファンの人々の一部からすれば、「マンガのせいでにわかファンが多くなってうざい」とか「にわかファンのくせに語るんじゃねえ」とか「マナーもなにも知らずにコンサートに来るな」とか、確かにオッケー把握、みたく頷きたくなるような頭を下げたくなるような、ごっもともなご意見もある。マナーが守れないっていうのはこの話に限らずダメダメなことだしね。でもちょっと待った、そこは勝手に敷居をまたげない様にしてもいいんか?みたいなものもありまして。
マンガがきっかけでクラシックを聴きたくなった、っていうのは別に全然悪いことじゃないよね。にわか、っていうのも揶揄しすぎっていうか。よく知りもしないで語ってしまおうとするのはちょっと恥ずかしいことではあるけれど、話題にすることは別に全然悪いことではないんじゃないかと思う。

ワタシは娘のころからちょっぴりクラシック好きだった。
学校のリコーダーとかくらいしか楽器って触ったことねえや、っていう音楽とは無縁な育ちだった。女の子ならばピアノやバレエなんていうのは憧れだったりしてワタシも当然そうだったわけなんですけれども、質素な暮らしをしている自分の家の経済状況は子供でもオッケー把握、って感じだったもんで、そういういかにも金のかかりそうなお稽古事は、そんなんワタシ全然興味ないしー、みたいな面をしてみせていた、今考えると、一歩間違えると卑屈、的な少女時代を過ごしておりましたですよ。別にその反動ってわけではないんですけどね。

かつて毎朝、母親が時計代わりにラジオをつけていた。電波受信状況がいまいちで、唯一きちんと受信できてたFM。で、起きると軽快だったりしっとりしてたりする、どこかキラキラした音楽がラジオから毎日聴こえてくるわけです。それがどういう曲なんだか少しもわかならい。で長じて、それがクラシックだったことがわかったわけなんですが、あの子供心になんとも優雅に聴こえた音楽、ここにワタシのクラシックとの出会いがあったわけで。今思い出すに、古典が多かったような気がするんだけど、一体どういった番組だったのかはさっぱりわからない。
それと少女のころからフィギュアスケートの演技を観るのが大好きだった。
荒川静香金メダル以降、有名選手が演技で使用した曲を集めたアルバムがよく売れたりするようになったそうですが、それすごいわかる。選手の素晴らしい演技を観たならば、その曲をぜひ聴いてみたくなる、当然です。
カルガリー冬季オリンピックから思い入れ大爆発のワタシ。かのカタリナ・ヴィットの名演カルメンはこの時の女子シングル金メダル。今どれだけ技術力が向上していようとも、このカルメンを超えるフィギュアスケートのカルメンはワタシにはない。トービル&ディーンのボレロとか、名演には名曲あり、デス。
CMとかでも印象的にクラシックが使用されていたり、ドラマや映画も然り。クラシックって実は結構身近で耳にする。

のだめがマラドーナコンクールの本選でストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の暗譜しきれなかった部分をNHK「今日の料理」のテーマをあてて弾いてしまったエピソードは、実際に曲を聴くとなるほど!となる。似てる感じなわけです、メロディが。でも全然違う。
ドラマ化やアニメ化で音も聞けるようになったわけだけど、もし気になった、もしくは気に入った旋律なんかが少しでもあったら、CDとかで聴いてみるともっと楽しい。アニメやドラマではごくごく一部分しか聴いてなかったことがよくわかるし、全体を聴いて印象がずいぶん変わるものだってあります。フィギュアスケートの使用曲なんか、ものすごく切って繋げてだとかよくわかる。

クラシックは確かに勉強してないとよくわからなさすぎる部分だらけだ。でも別に音楽って学で聴くもんじゃあないと思う。極端な話かもしれんけど、例えば野球ファンのオヤジが選手についてや試合語ったりするのはそのオヤジが野球やってなかったらその資格がないんか?みたいなのと同じじゃないか。

ワタシはその分野の学がさっぱりないので、もちろんエラソーなことは全然言えません。でも歴史に名を残す作曲家の面々がごく普通に人間臭さに溢れてる事実を知れば、至高の芸術みたいにむやみに扱う必要ってないような気がする。名曲が食うために作った曲だったりすることもあるみたいだし。もちろんギャラのためでも高い芸術性を追求したものを作ったであろうけれど、それは我々が仕事をやるからにはやっつけではクライアントに提出できない的に同様ではないかと思う。

名曲や有名曲であっても、なんか自分の肌に合わないような気がしたりするものもある。指揮者や演奏者の違いも然り。同じ曲なのに、全然違う曲みたいに聴こえたり。それは昔の歌謡曲のカヴァーを聴いて全然感じが違ったりするのと別段変わりないのじゃないだろうか。同じ土俵に上げんな!とお叱りをうけそうですが。



パリ編について その2

のだめと千秋が焦ったり挫折するのを手を変え品を変え披露するのは長編に移行した時点で必要要素だったとは思う。ただなんともシリアスになりすぎたと思うのだ。クラシックの世界がそもそもシビアなわけであるからして致し方ないのかもしれん。しかしシリアスに描くならばもっと細かな描写が必要だっただろうし、そのあたりの舵捌きの曖昧さは終盤は相当目についた。主人公であるのだめの独白が一切ないのは心理描写が大変難しいことだと思う。あえてそれに挑んだならば、のだめの行動の理由付けの描写を増やすか描写自身を変えるか、方法は様々あったであろうが、とにかくもう少し練れていればよかったのにと思う。

のだめと千秋は恋人となったものの、それぞれが勉強と仕事に行き詰っては悩み、恋も紆余曲折。ハラハラしながらも待ち受けるものがハッピーエンドと想定して熱烈に支持した読者が多くても少しも不思議はない。ならばあのエンディングへの一連の流れが相当に消化不良であろうことは容易に想像でき、収拾のつけ方への作者の技量不足を感じる。賛否両論が発生したとして、お約束的感動を求める読者を黙らせる本当のスマートなエンディングはもう少し時間をかけて描く必要性があったのではないか?

ワタシはエンディングまでの流れに概ね満足しているように述べたが先に述べたようなところが不満点である。
が、巨神兵が出てきて世界が滅亡しそうになって少女が身を投げ出して世界を救う、とかバルス!でラピュタの崩壊とともに悪が成敗されるとか、そういったものは『のだめ』には全然必要ないと思ってて、なのにパリ編は結構そういった流れがくるんじゃないか?という危惧がバンバンで戦々恐々としていたから、駆け足すぎたエンディングの方がずいぶんとマシに見れた。
ワタシはもともとそういったマンガじゃなかったじゃない?と思いながら後半読んでいた。ほっこりと和むような気持ちにしてくれるのは嬉しいが、大きな感動は全然求めていなかったのだ。明るく楽しいキャラクタが生き生きとした面白マンガとして終焉することを期待していたのである。

着地を気にしすぎたら長編マンガなんて読めない、というのはワタシなりの哲学なのだ。作者がそう締めたかったならそれで全然構わないと思う。その後のつきあいはワタシが決めるだけだ。終わり良ければすべて良し、というのは、結婚が恋愛のゴールというのと同じだと思う。

『のだめカンタービレ』は概ね面白かった。なかなかの怪作だったと思う。


パリ編について その1

日本編はシリアスな要素もあるがそれをはるかに上回る青春お笑いものの要素の嵐だ。若者の純粋な向上心や誠実な友情なども笑いをベースにしつつ多く描かれている。のだめと千秋の恋が前面に押し出されすぎずにひとつの要素として上手く盛り込まれていると思う。

一方パリ編に入ると、シビアだったりシリアスだったりする要素がどうしても多くなってしまい、ただ楽しんで読むにはちょっとばかり難しいところも多々ある。もちろん過酷に山あり谷ありのドラマチックなマンガというのは世に相当数存在するが、『のだめカンタービレ』については日本編を読むノリが自分の中に出来上がってしまっていたから、パリ編はちょっと気軽に読めない感じを持った。パリ編は蛇足、とまではいわないけれど、日本編が中篇としてのなかなかの完成度だと思うので、例えば日本編しか読まなかったとして、そこで読むのを終了してもなんら不可解な点はないのだ。

パリ編はエピソードごとだけ見ると面白いところは多くあった。ただ通読すると感じるのは、手のひらからサラサラと零れ落ちていくような感覚だ。
話が進むにしたがっていろいろと山岳コースが設定されているが、エピソードとして読むと一旦山をクリアしてるように見える。しかし全体で見るとまだまだ登り道なわけだ。コースに見立てるとそれはいたって普通なわけだが、パリ編というコースはマラソンというよりは短距離を何本も走っている感じがとても強い。
スピーディな展開といえば聞こえはいいがこれはそうではなくて、エピソード間のテンポが一環しないことに原因があると思われる。転調がしっくりこないのはまずい。そしてエピソード内において、じっくりと描写すればもっと深みが出ただろうに駆け足で過ぎて残念なものもある。つまりはバランスがあまり良くないところが気になるのだ。それが原因だろうか、少しずつダブル主人公の気持ちに寄り添いにくくなってしまった。


日本編について その2

初期ののだめはまさに変人である。
女の子云々というよりも生態がもはや動物奇想天外状態である。いくら千秋が博愛精神に富んでいるとはいえ、よくぞ警察に通報しなかったものだ。のだめの「千秋センパイ好きデスーーー!」は正直なところ子供の遊びにしか見えない。

転機はシュトレーゼマンと千秋によるラフマニノフのピアノ協奏曲2番だった。これが直接的にのだめを音楽に向き合わせることになったわけではなかったが、確実にのだめの心に一石が投じられたわけである。これ以降さらに真剣に音楽に正面から取り組む千秋を見つめるのだめは、動物奇想天外なりに千秋のことが本気で好きで、千秋のそばにずっといたいという気持ちだけでピアノに向き合い始めた。水面の波紋は確実にのだめを支配したわけである。ピアノを上手に弾ければ千秋のそばにずっといられる、という稚拙ながらも必死の想いだったのだろう。ただ急上昇思考があまりに強すぎて、そこは世の中簡単にはいきません。

マラドーナコンクール一連ののだめは可愛らしくもいじらしくもありながら逆に自分のご都合主義すぎるところも見られて、つまりはのだめの「ベーベちゃん」たる幼い精神面ががっつり描かれている。のだめを擁護する気にはならずされど叩く気にもならない、なかなかに読み手にも気合のいるところである。

千秋は果たしていつからのだめをひとりの女の子として見るようになったのだろう。
千秋は自分の音楽を誠実に作り上げていくことこそが、のだめに正面から音楽と向き合わせ高みを目指させる原動力となると信じて疑わなかった。自身も日本では一学生に過ぎなかったのに、そこまでのだめのピアノへの思い入れがあったわけだ。それはその人間に対してもなんらかの思い入れがなければあり得ない感情だと思う。
そのなんらかの感情が留学の誘いとなるわけだが、コンクールで失敗して落ち込むのだめにはその提案を素直に聞き入れる気持ちの余裕がなかった。音楽に真正面から向き合ったのに上手くいかなかった、もう自分は千秋には追いつけないという、独り失恋みたいな心境だったのだろう。実際のところは千秋が振られたも同然で、あきらめきれずに追いかけたわけだが。「大川ハグ」は素晴らしき少女マンガの定石だった。

しかし以降ふたりはフランスに渡ってからも同様の展開を繰り返すのだ。


いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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