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マヤの挫折~「華やかな迷路」編その2

「奇跡の人」のヘレン・ケラー役でアカデミー助演女優賞を受賞したマヤは、月影の意向で敵対関係にあった大都芸能の所属女優となる。急速にスターに仕立て上げようとする事務所側の、というよりは真澄の意向に翻弄されながらも目の前の演技に必死に取り組むマヤだが、なにも持つことなく身一つで生きてきたマヤが、それまでマヤを守るようにそばにいた善意の第三者から切り離され、周囲の言うがままに無理矢理多くのものを持たされることになったのだ。マヤは芝居のこと以外に全く知恵がまわらないし、なにも抱えたことがないものがいきなり訳もわからず多くのものを与えられ持たされて、上手く立ち回れるはずがないのだ。
環境を与えればどうにかなると云わんばかりの速水真澄のやり方だが、マヤにそういった面での教育を一切しなかったのが致命的である。マヤ自身別にスターになりたいわけでもなくただ芝居が好きなだけで、いつかは師匠である月影千草がかつて演じた「紅天女」を演じられる役者になろうと芸の精進には誠心誠意励むものの、その他の芸能界を生き抜く知識や渡世術は全くの人任せなのだ。演じること以外に関心があまり向かないせいである。

速水真澄は話題作りの一環としてマヤと春を劇的に再会させる計画を立てるのだが、最良のタイミングが訪れるまで春の居所をマスコミに察知されないように、春を監禁同様の状況に置く。春は結核を患い行き倒れていたところをある山奥の療養所で保護してもらいそのままそこにいたのだが、栄養失調が原因で目が不自由になっていた。真澄はその療養所の院長を買収し、春にアイドル女優として世間の人気者になっている娘のマヤの情報を一切耳に入れないように、春が一切誰とも接触しないように監視させていた。
これが無事母子再会できていたのなら不問にできたかもしれないが、春が偶然にもその計画を知り、盲目の身で決死の覚悟で療養所から逃げ出しマヤに会いに行こうとする。結核で弱りきった身体の上、途中で車と接触し頭部を強打する。命辛々辿り着いたマヤの主演する映画が上映されている映画館で、マヤのセリフを聞きながら死んでいくのだ。
もうこのエピソードのせいでこの章は読むに耐えない。何度読んでも泣いてしまう。実はこれを書くにあたって避けて通れないし確認も必要なためこの章を読んだけれど、やはりこの春の死あたりは泣いてしまった。

春は母として娘であるマヤをとても愛していたし大切に思っていた。ただ切迫した家計に追い詰められたような心理状況と不器用な性格からか否定的な言葉ばかり娘に投げかけてしまっていただけなのだ。しかし親子というのはほんの少しのふれあいで気持ちの行き違いを乗り越えることができるものだろう。その機会をこの母子は他人の欲や思惑に振り回されたあげく永久に奪われてしまったのだ。
もっと若かった頃のワタシはこのエピソードを母を失ったマヤの立場で読んでいたのだが、現在では母親としての春の立場で読むようになった。だから余計に辛く悲しくなる。
マヤが母を思うシーンはところどころに挿入されているが、春がマヤを思うほどに深刻さはない。いつか会えるはずだと信じて疑っていないのだ。まさに「孝行をしたい時分に親は無し」がわからない幼さなのだ。
春は自分の身体の衰えがよくわかっているしそう長く生きられない予感があっただろうからこそ、マヤに一目でいいから会いたいと切望していただろう。遠く離れた存在の自分の娘を一目見ることも叶わず、ただ娘の健康と無事と成功を祈って死んでいったであろう春の死が無念すぎる。

この母子は世の中を生き抜くにはあまりに不器用なのだ。もう少し春もマヤも上手く立ち回り賢く状況判断できていたならこれほど辛く悲しい別れをせずにすんだかもしれない。
春を監禁するのでなく他に方法はいくらでもあったろうと思う。例えば春に計画のすべてを打ち明けて大人しく時機を待つように説得すれば母子は無事に再会できたはずだ。

さらに春の死をきっかけにマヤの立場を奪おうとする輩が陰謀を企て、マヤはまんまとその罠にかかってしまう。これによりマヤは芸能界から追放同然となり女優生命が絶たれる状況に陥る。
ここでの真澄の対応もどうにも腑に落ちない。CMを降ろされたりドラマの役を降ろされたりは、本人の意思に関わらず世間を騒がせたスキャンダルのせいでどうしようもないのだから、ほとぼりが冷めるまでじっくり謹慎という形をとり再起のチャンスを待てばばよかっただけなのに、マヤを想う一心のあまりにか、時期尚早に復帰させようと試みるがすべてことごとく失敗するのである。マヤ自身が早い復帰をそう望んでいるわけでもないのだから、ここは真澄の完全な計算ミスなのだ。本当に仕事が完璧にできる奴なのか?と疑いたくなる。

で、もちろんこれはマンガで、このあたりが主人公の新たな歩みへの前哨だという作者の意図は当たり前だが読者としてわかっているのだけれど、主人公が苦境に陥って八方塞になっている様子ばかり立て続けに見せつけられるものだから、どうしても読むのが辛いのだ。
順風満帆ばかりのヒロインなど別に魅力を感じないけれど、それでもこのマヤの逆境は読むに耐えないエピソード続きで、何度も通読した『ガラスの仮面』であるがこの「華やかな迷路」編はとばして読んでいることが多い。
ただしこの読むに耐え難いエピソード続きの中で、初期意地悪ライバル役に感じた姫川亜弓の印象が180度変わるエピソードも含まれていて、そこはとても好きだ。


(続きます。)
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マヤの挫折~「華やかな迷路」編について

北島マヤの才能は演技力のみに天才性を持つ。そのほかのあらゆることには鈍感で無知だ。中学生で親元を飛び出してひたすら芝居の勉強しかしなかったため、世の中のことがあまりわかっていない。
人は誰しも経験を元に社会的な良い側面も悪い側面も学ぶものだが、保護されている立場ならば逆境に晒された場合でも拠り所があるためそれを乗り切る猶予がないでもない。しかしマヤは身一つの立場である。未成年の少女が世の中を渡るのは当然ながら難しいし、マヤ自身にそういう器量がない。動物的な勘ともいえる逞しさを持ち合わせている反面、善良な第三者がそばにいない場合のマヤは周囲に流されるばかりだ。

師匠の月影千草もまた、後ろ盾がない状況下で自分が所有する演劇界幻の名作である『紅天女』の上演権を守り、後継者を育てるための孤独な闘いの最中にいるため、芝居の師匠としてはこの上ないのだが保護者として不十分な立場にある。むしろマヤを自分の生い立ちと同じような孤独な立場にあえて立たせ、自分で運を切り開かせようとする。母ライオンが子を強く雄雄しく育てるために崖の下に突き落とすが如く、の振る舞いだ。月影のマヤに対する教えの方向性は常にこれに一貫する。スパルタというよりは無茶・無謀。
もちろんマヤは主人公なのでこれらの困難を苦労を重ねつつ見事に乗り越えるんだけどね。それにしてもこのあたりの流れは読むに耐えないものがある。第8章「華やかな迷路」がそれに当たる。

この「華やかな迷路」編は北島マヤの芸能界でのアイドル女優としての活躍と、陰謀に巻き込まれ一転して失脚する話が展開される。この陰謀には母親、春の死が大きく関わっていて、マヤも全く上手く立ち回れずに翻弄され続けるだけなのが読むに耐えないのだ。

正体を隠してファンという立場で陰ながら「あしながおじさん」の如く、孤独で貧しいマヤの経済的援助から精神的援助までしてくれる「紫のバラのひと」は、実はマヤの所属する大都芸能の若き敏腕社長速水真澄なのだが、世の人々が彼を形容するに「仕事の鬼」であるとか「冷血漢」であるとかで、とにかく事業の成功のためにはどんな方法を用いても必ずや遣り遂げる、というように描かれている。マヤの初舞台を観たときから、なにも持たずなにも与えられず、ただ芝居への情熱だけを燃やす彼女に心惹かれたので「紫のバラのひと」として陰ながらマヤを支え続けてきたという一面を読者に見せてくれるのだが、それはマヤの一番の心の支えになっているのでそれはいいとして、やり手社長としての表向きの顔と腕前はどうしてもこの章では疑問に感じざるをえない。

(続きます。)

北島マヤの母子の関係から考える

子の親離れ、親の子離れは時期が一致すれば事は穏やかに進むものだが、大抵の家庭内ではズレが生じて一悶着あるものだと思う。
子は自分の目線で世の中を見つめるようになって個人を形成していくうちに精神的にプライベートな領分を持つようになって、保護してくれる味方だった親が一転して自分の領域を侵害する敵に見えてくる。ま、いわゆる反抗期ってやつだ。ワタシにももちろんこういう時期があったのだが後々考えると、親の言ったことももっともだ、と思えることが多いのだが、渦中にいる時はまともに聞く耳を持っていなかったので腹がたつばかりだった。
戦後の混乱期貧しい中で育ったワタシの両親は、真面目に堅実に生きることを美徳としている。ワタシがそのように生きていくことを望んでいたし当たり前だと思っていた。勉強は人並みにできれば十分、大金を儲けるような大人にならなくてもいいから、借金したり人様に大きな迷惑をかけたりすることなく、真面目に会社勤めして真面目な男の人と結婚してごく普通に所帯を持ってほしい、そう望んでいた。
しかしワタシの多感な思春期はバブル経済が絶頂へと登り詰める最中だったのだ。世の中散財して物欲イケイケゴーゴー祭りだったのだ。両親があまりに保守的な考えすぎて正直眩暈がしそうだった。幼い頃からの両親の教えとポリシーが功を奏して、この時期でもワタシはそれほど物欲に駆られることはなかったけれど、世の中の風潮と相まって、やればなんでもできるようなイケイケゴーゴーな気分になっていて、堅実とは逆の、夢はでっかく野心のようなものを持つようになってしまった。
親にいちいち自分の考えを宣言したりはもちろんしなかったが、普段の言動等から親はワタシの変化を感じただろう。「世の中ずいぶんと浮かれているけれども地道にコツコツ生きていくのが一番正しい」と何かにつけて言うようになった。結局これは大変正論で正しかった。持ち家も無く何等財産も持たず、しかし借金も一切無く、バブル期であろうと「失われた10年」であろうともただひたすらコツコツと慎ましく真面目に乗り切って今に至る両親は立派だと今なら誇りに思う。けれど当時の若かったワタシには「野心を持たずして生きるなんて」という親に対する反抗心しか感じなかった。
両親はワタシの「夢はでっかく」の部分が引っ掛かっていたのだ。自分の生きる環境と照らし合わせて手の届きそうな範囲で将来の展望を持ってほしいと思っていたのだ。

衝突は絶えなかった。「失われた10年」の前半が最大の衝突期だった。家を出た時期もあった。今考えると本当に親不孝者だったと思う。世の中のことも全くわかっていなくて無謀だったと思う。でもあの時期をひたすら駆け抜けるように過ごさなければ今でもワタシはどっちつかずでフラフラしていたのではないかと思う。誰かに教えられたように誘導されていただけでは納得したはずがない。今ごく普通の平凡ら暮らしを守るのが実はどれだけ困難であるかを体感している真っ最中だ。でも自分の器以上のものを手に掴もうと必死だった若かった頃の自分の経験のおかげか結構怖いものがほとんどない。
いまや両親ともすっかり和解し当時の衝突を酒の肴にして笑えるようになったけれど、実は地道で堅実に生きてきたはずの両親がワタシの見えぬところで一か八かの大博打的な家計の遣り繰りで切り抜けてきただけと知り、本当のところ血は争えないと思う。

さて、これでワタシが北島マヤというキャラクタに共感することがおわかりいただけたと思う。

世間から身を隠していたかつての大女優月影千草と運命的に出会ったマヤは役者としての天才的な素質を見出される。芝居の勉強をして役者を目指したいと本気で思うようになっていたマヤは、母親の春が当然それを反対し否定するだけだとわかっていたので家出し月影の元に飛び込む。
子供の頃にこの部分を読んだときは春のことを「子供に理解がない母親」と思ったものだが。この母子の生きるだけで精一杯の暮らしに心の余裕はない。厳しい現実だけを見て生きている春には夢や希望が失われているのだ。親である自分がこんな風にしか生きられないのだから、娘がなにか大きな可能性を秘めているのではないか、と思えるはずもなく。子の器は親の器に左右されると信じて疑っていないのだと思う。これはある意味正しくもあるが一概にそうとは言えないこともある。ケースバイケースなのだ。小さな暮らしの中でもマヤは将来に大きな希望というよりは野望を抱き、それが春とマヤの間に溝を作ることになり、ついには一生の別れとなってしまうのだ。
月影の元に飛び込んだマヤを一度は無理に連れ戻そうとする春だったが、二度と戻ってくるなと親子の縁を切るような態度の裏で、娘の夢に理解を示し師匠である月影にくれぐれも娘のことを頼む手紙を送る。しかし月影はマヤを紅天女という高みを目指させるため退路を断つかのようにその手紙を手渡さず処分してしまう。マヤの方も芝居の勉強ができる嬉しさで心がいっぱいになってしまってるため、母親のことはすっかり失念してしまう。マヤは熱中してしまうと他のことすべてに全く関心が無くなってしまう性分だ。「孝行のしたい時分に親は無し」がわかっていないほどに幼いのだ。この頃のマヤはまだ中学生、無理もない。

マヤの突っ走り方に共感を覚えるのは若かった頃の自分に少しは似たような経験があったからだ。しかしワタシにはマヤのような天才的な才能もなければ、すべてを捨て去っても駆け抜けようとする大胆さはなかった。やはり両親が教育したとおり、どこかに保守的な感覚も持っていたのだと思う。なにかを得るためになにかを捨てるのは容易くない。できればなにも捨てたくないのが人の性分だ。
マヤはその天才的な才能のおかげで自分の将来を切り開く機会を得た。そもそもマヤはなにも持たない暮らしをしていた。失うものがなにもないほどの生い立ちだったからこそ、才能を開花させるために前進あるのみで大胆に突き進めたのだ。持っていないのだから捨てるものもない。唯一母という存在を除いては。

マヤは唯一の肉親である母を周囲の思惑に振り回された上に失うのだ。


(続きます。)

北島マヤの生い立ちから考える

ワタシは裕福とは決して言えない育ちだ。だから逆にマンガの世界なんかではお姫様やお嬢様にとても惹かれる。決して自分が踏み込むことがない世界は憧れと羨望の対象だ。

しかし古典的少女マンガのお姫様やお嬢様は大抵が主人公のイジメ役だったり敵役だったりで、例えば『キャンディキャンディ』におけるイライザはまさにこれに当たる。せっかくの上流階級育ちもあまりにひどい性格が台無しにしている。ノブレス・オブリージュの精神は全くない。
『ガラスの仮面』におけるこのポジションは姫川亜弓である。イライザのように主人公をイジメぬくような非道なキャラクタではないにせよ、作品初期の頃の印象は決して良いものではない。貧乏育ちの苦労人である主人公のライバル役として対極のゴージャスな育ちと環境の持ち主で、且つちょっぴり意地悪ともいえる上から目線の亜弓だったのだ。このあたりは各読者によって解釈が違ってくると思うのだが、ワタシにとって作品初期の亜弓は「主人公の意地悪ライバル役」の位置づけだった。

主人公である北島マヤは相当貧しく淋しい育ちだ。父親を早くに亡くし母子ふたりきり、しがない中華料理店で住み込みで働きつつ細々と暮していた。学校の教材費のようなものも滞納せざるを得ないような経済状況だったようだ。学校の勉強は不得意で手先も不器用な地味な少女で、映画やテレビドラマを観ることだけが大好きなのだが、もちろんそういったものを存分に楽しめる環境下にない。
出前の手伝いをさせられていて、映画館に配達に行ったものならついついそのまま映画に見入ってしまって残りの手伝いを忘れ去るほどに没頭してしまう。部屋にテレビが無くて、でもどうしてもドラマが見たいあまりに屋根伝いによその家のテレビを遠目でもいいから見ようとする。そんな愚かしいともいえるような行動をしてしまうほどになにも持てず与えられずの育ちなのだ。

ワタシは確かに細々とした暮らしの中で育ったがマヤほどの貧しい育ちだったわけではない。しかし対極の亜弓の夢のようなゴージャスな育ちに比べるとやはりマヤの育ちに近いものを感じた。
先に述べた、マヤが屋根伝いでよその家のテレビを見ようとしたところの続き、その無茶な行為を偶然見た近所の顔見知りであろう夫妻は親切にマヤを家に上げてやる。恐縮しつつお邪魔するマヤに

おばさん「さ、ケーキ用意しておいたのよ。おあがんなさい」
マヤ  「わーっおいしそう!うれしいわ、ありがとうおばさん!うちの母さんケーキなんか買ってくれないの!うわあうわあ、おいしそう!わあっ生クリームがおいしい!」

ワタシの子供の頃はケーキは特別なものだった。食べられるのは誕生日とクリスマスの年2回。ケーキの飾りの可愛らしさに笑みを誘われ、生クリームのとろけるような甘さにうっとりした。ケーキは日常食べられるものではなかったのだ。というより、特別でない日にでも食べるという考えすらなかった。ケーキがおやつに食べられる家はお金持ちだと思っていた。
ワタシの子供時代は日本経済の安定成長期とちょうど一致し、一般家庭の中流意識がかなり高まった時代である。それから考えるとやはりワタシの家は時代の波に合わない苦しい経済状況だったと現在なら容易に推測できる。たぶんよその家ではもっと気軽にケーキを食べただろうし、特別なものなどではなかっただろう。でもワタシには夢のような特別なものだったのだ。マヤが生クリームに喜ぶ姿は自分の姿だった。

でもワタシの家にはさすがにテレビはあったし、マヤのように娯楽が一切なかったわけではない。
両親は苦しい家計の中でも子供を楽しませようと様々に努力したと思う。CMで「モノより思い出」というコピーがあったけれど、まさにそういう風に両親はワタシを育てた。ささやかなお弁当を持って休みには大きな公園に出かけ一日中走り回って遊んでくれたし、ケーキが食べられるイベントの日の食事はトンカツや唐揚げで、肉なんか絶対安物だっただろうけれど工夫して美味しく料理し、洋食スタイルでナイフとフォークで食べるようにしてみてくれたり、コース料理のように仕立て上げてくれたものだ。おかげでワタシはマヤのように引け目を感じて育った覚えはない。貧しさを感じた覚えはワタシにはないのだ。

両親健康で揃っていてくれたので母子家庭のマヤの家と比べると余裕があって当然かもしれないが、マヤが学費を滞納せざるをえなかったりしたのは母親の春の勉強不足にも原因があると思う。母子家庭の公的援助が当時でもなかったはずはない。学校教材費などは世帯の年収が一定より低ければ免除されることもできたはずだ。
マヤが不器用な人間に育ったのは、春がそもそも不器用で世渡り下手だったことに起因するのだろうと思う。


(続きます)
いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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