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パリのエスプリ

週末は「リサとガスパール&ペネロペ展」に行ってきた。

2010/05/24


ペネロペは『うっかりペネロペ』の題名でアニメ放送していて、娘たちにとっては絵本よりもおなじみだった。近所の図書館で探してみても見当たらないのでおそらくは別の所から取り寄せないと借りられないのだろう。それは面倒だから買おうかどうしようか悩んだが、『リサとガスパール』シリーズは置いてあったので、かわりに借りてみたのだった。


それが『リサのおうち』だったと思う。リサの一家はポンピドゥー・センターに住んでいるという設定だ。ポンピドゥー・センターの説明をしたところで下の娘にわかるわけもなかったが、休館日の館内をリサが好き勝手に歩き回り遊び回る(リサにとっては自宅の周囲なのだから)あたりがどうにも気に入ったらしい。
それからは件の図書館で借りたり本屋で見かけたら買ったりして、シリーズの大半は読んだのでないかと思う。


ワタシはむやみに良い子のお話はホントのところは苦手である。ただし幼児を対象とした絵本であるならば、どうしても良い子のお話が多くなるのは致し方ないだろう。お友達とケンカ→諭され改心→仲直りして円満解決、というパターンがとにかく多い。模範的過ぎるのがどうにもケツが痒くならぁ!って感じだ。幼児対象であったとしても、ただの「いいお話」でなくユーモアが感じられるものが読みたいと思う。


リサもガスパールも特別良い子というのでない。結構ないたずらっ子だ。いたずらはなかなか派手で、あまりしょげたり反省したりしない。かといって悪い子でもない。明るくて元気でいたずら好きで、時にはわがままで妙なところでこだわりがあって、ちょっと大人ぶってひねくれたりする。こどもを天使のように描いていないところが、むしろとても健全なこどもの姿を描いているように感じるのである。


原画は素晴らしかった。まあ当然であるが。絵本で見ていると、やはり印刷のせいだからだと思うがどうものっぺりした感じの絵に見える。印刷って難しいものなんだなー。ものすごく細かく色が重ねられていて、絵本の印象とまったく違った。とにかく「ああ・・・カワイイなあ・・・!」と心からつぶやいてしまう絵ばかりだった。実はワタシはカワイイもの好きなのだ。けれどもグッズは買わず。買うならやはり図録でしょう。展覧会だもの。



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宇宙ヤバイ

宇宙のことをぼんやりと考えると「宇宙ヤバイヤバイすごいすごすぎ」って、思う。


以前この記事で「アタマの中がぐるぐるする」と書いたが、そのぐるぐるはやがて、「宇宙から見たら自分の小ささにワロタw つまんないこと考えんの、止め止め!もーちっぽけすぎ!」と、妙なポジティブさを呼び起こしてくれる。宇宙感謝。

ワタシの小さい脳ミソでは宇宙のことなんかよくわからん。いまだに「どうして巨大な鉄のカタマリ(飛行機)が空を飛べるんだ!?」とか思うくらい低レベルなアタマなのだから。
でも夜空を見上げて「チッ、星うぜーよ」なんて思うヤツはいないと思う。都会に住んでいると夜も明るすぎて星はほとんど見えない。日常のあわただしさにゆっくり夜空を見上げる心の余裕すらないかもしれない。でもふと星空を見上げる瞬間があったなら、やっぱり人は「ああ、星が綺麗だな」と感じるものだろう。
知識や学問として知らずとも、宇宙の広大さ、神秘性に浪漫を感じることはできる。

http://spaceinfo.jaxa.jp/inori/index.htmlは小惑星探査機「はやぶさ」の旅をドラマに仕立てたものである。ワタシはこれを観て、もうそれは大変感動した。お暇があれば一度ご覧になってはいかがだろうか。

数々のトラブルを乗り越えたのはもちろん地上の人々の対応と機転のおかげなのだろうが、トラブルという言葉で片付けるレベルを超えた致命的とも言える事態を乗り越えられたのは、もはや神がかりの域のように感じてしまう。
成功するか失敗するか、なんていうのはやっぱり最終的には「神のみぞ知る」の世界だと思えてしまう。そんな「当たるも八卦」みたいなのでは危なっかしくてしょーがないからこそ、人類は長い長い時をかけて科学技術のあくなき探究を続けてきているのだろう。


なんというか、人間小さすぎ。ほんで地球小さすぎ。「グローバルな視野で」とかよく言うけど、そのグローバルってのも宇宙から見たら、ちっぽけなものだ。
で、こういうのを考えるといつも同時に思うのが「人が生涯で一体何冊の本が読めるのか」という、これまた宇宙規模で考えるとありえんくらい小さいものなのだけれども、でも小さき本好きからするとそれはものすごく重要な問題だったりする。
さらにそこから連想するのが、今家族でにぎやかすぎるくらいにぎやかに生活しているけれども、平均寿命まで家族みんなが生きられるとしても、一体あと何年こんな団欒の時間が過ごせるのか、ということ。その間にも衛星や探査機が打ち上げられるだろうし(あかつき、イカロスがんばれ!まずは打ち上げ成功おめでとう!)、ゴールデンレコードを積んだボイジャーは果てしない旅を続けているのだ。


「宇宙」というキーワードはものすごく多くのものを孕んでいると思う。アタマがどんどんどんどんぐるぐるする。でもこのぐるぐるは悪くない。



はやぶさ帰還カウントダウンhttp://hayabusa.jaxa.jp/index.html




強い女 その2

讃良に関してだけでも、男と女のすれ違う想いがあーでもないこーでもない、と散々描かれている『天上の虹』なのだが、讃良の周囲の多くの人々も同様に男と女のことであーでもないこーでもないと散々描かれている。しかもそれぞれがどうにも上手くかみ合わず一様に悶々としたりしていて、はっきりいってずどーんと重々しいことこの上ないのだ。身分貴い人たちが登場人物の主なので自由恋愛なんてどんな都市伝説?級のことであっただろうけれど。高市皇子と十市皇女の悲恋がその代表エピソードである。

登場人物は史実に名を残す実在の人物である。しかし発掘調査や研究で、すべてなにもかもが立証されているのでなく伝聞や通説も多い。
作者のねらいとして、確証している史実は捻じ曲げず、かつ不確定な要素については想像で描く、ということらしい。作者の想像でドラマ化されているわけだ。これはいうなれば妄想の世界なのである。そこが歴史ものの面白い所以だと思う。そして「女は大河ドラマ好き」である。
少なくともワタシは『天上の虹』を読み始めて、飛鳥時代チョーおもしれー!となったクチだ。17歳の明日香でひとり静かに興奮したクチだ。



第25章「薬師寺発願」での高市皇子と大海人天皇が病が長引く讃良皇后のことを語るエピソードはじーんとくる。
高市皇子は讃良の病が長引くのは

「長年強く雄々しく生きてこられて・・・でも心の奥では女として慈しまれたいという願いがあって、それが満たされないさびしさから気力をなくしてご病気に・・・そんな気がして・・・」と進言する。
それに対し大海人は

「あれはそんな女じゃない!」と憤慨する。「ふつうの女といっしょにするな!それは讃良への侮辱だぞ!」と続ける。そして「讃良への侮辱は国家に対する侮辱だからだ!」
と言い切るのだ。ワタシはこの場面が本当に大好きだ。

高市皇子はのちに讃良を見舞い、この時の話を讃良に聞かせる。
「そういう愛し方もあるのだとはじめて知りました。父上にとって讃良さまへの気持ちは、ひとつの信念・・・なんですね」と感想を述べる。そして

「感動を覚えました」

と言う。


第60章「対決のとき」において。
犬養三千代が藤原不比等と婚姻する報告を上皇である讃良にするとき、讃良と大海人の夫婦の姿を、みごとな信頼で結ばれた”戦友”だ、自分たちはそれに憧れている、と褒め称える場面がある。
讃良は、夫には「女」が多くいて、自分は女としては少し寂しかったが、でも戦友として信頼されたのは自分ひとりだった、と自分たち夫婦の関係を思い起こす。

「それがわたしの誇りであり、生きる意味になった」


讃良のキャラクタ設定だけでも、愛を乞う人、といった描き方で、実際がどういった人物であったのかなぞ結局のところどんな偉い研究者でも絶対これ!と立証することは不可能なわけだ。人というものは多面性があって当然でその心の中まで覗くことは不可能なわけである。通説は通説に過ぎないのだ。
ビバ妄想。(真面目に研究しておられる先生方などには「妄想」とは甚だ不適切な言葉ということはしかと理解。でも妄想は無限の可能性を秘めている!キリッ!)


讃良が「自分は本来弱い人間だ。しかし強く見せようとしてそう演じているに過ぎないのだ」と幼い頃から絶大に信頼していた額田王に思わず吐露してしまう場面がある。
それを受けて額田王が「そう演じることによって段々とそれが本物になるのだ」と聞かせる。
ワタシは若い頃、これに大変感銘をうけたのを覚えている。

ここぞというところで、強くありたい。


強い女

『天上の虹』は鸕野讃良皇女のちの持統天皇を中心に、飛鳥時代を生きた人々の愛憎や思惑などを描いた大河ドラマである。

この時代を題材とした小説などにおいてワタシが読んだ限り、讃良皇女は「権力欲の強い人」のように悪役タイプとしてキャラクタ設定されていることが多い。史実研究等からそういった人物像と推測されているようである。
しかし『天上の虹』における讃良皇女は「望んだわけでもなく権力者の地位を得てしまったが、あえて嫌われ役に徹してでも国の発展のために尽くす人」である。ただし生身の人間であるが故に、少しばかりの身内びいきが入ってしまったりする面もないではない。

当時は一夫多妻である。讃良は二の妃であったがもともと一の妃であった姉の大田皇女が若くして亡くなり、繰上げで一の妃から皇后の地位を得た。しかし讃良が求めたものは地位などではなく、夫の愛を一身に受けることだった。

夫大海人皇子は讃良に女という点は優遇せず、しかし「最高の戦友」として讃良を国づくりのための片腕として傍に置き、絶大な信頼を寄せた。夫に求められた自分の存在意義をまっとうすることこそが自分の夫への愛だ、と自己暗示をかけ孤独な気持ちを押し殺すことが、実子草壁皇子への過度な期待と身びいきに拍車をかけることになる。

讃良は常に孤独に苛まれているのだが、決して自分の弱弱しい心根を周囲に吐露することはなく、夫である大海人皇子すなわち天武天皇が理想に掲げた国づくりの志半ばで亡くなると、その遺志を自分が引き継ぎ実現させることこそが夫への愛だという「戦友」としての意地とプライドを再確認する。

身内びいきな点は、壬申の乱の経験が「権力の在り所をはっきりとさせるため」という讃良なりの信念に基づいているものでもあった。讃良の信念はイコール意地でもあるわけだが。
大津皇子の事件はその讃良の意地の最たるものとして描かれている。立太子している草壁皇子でなく大津皇子に跡を継がせたいと大海人が密かに大津本人にだけ告げていた、という事実(あくまで作中の架空のエピソード)は、最たる戦友を自負する讃良には一切認めることのできない意地があり、政治的影響力が圧倒的に強い讃良は、大津の謀反という結論で「国のため」と冷酷に処罰を下した。それは人々からさらに「権力に固執した冷たい人」という印象を強くする。
讃良自身は、姉の子を死に追いやるという罪悪を少なからず感じてはいる。しかし国家の大儀のためにやむを得ない処置であるという信念もある。

この事件がきっかけで期待をかけた息子草壁皇太子は心を病んで早世してしまい、讃良は夫を亡くし子も亡くした悲しみを押し殺し、いよいよ天皇の地位につく。それが更なる孤独との戦いでもあるわけだ。



17歳の明日香

高校3年の春の遠足は奈良の明日香に行った。
見学的要素はほとんどなく、つまりはクラスの親睦を深めるためのイベントにしか過ぎなかった。一様に適当に色気づいている年齢でもあり、さながら昔でいうところの”合同ハイキング”のようなものでもあった。
当時のワタシはそれなりに社交的であろうと努めるフシがあったので、事前のクラスの話し合いで決まっていたレクリエーションにも積極的に参加はした。
でも心の中でひたすら思っていた。「せっかく明日香に来たのに!」


明日香はその名の通り飛鳥時代の遺跡がありえんほど多く存在する。『天上の虹』読者には垂涎の地だ。


クラス全体の親睦を深めることは確かに大切だ。それに異議を唱える気はもちろんない。また、高校3年という大学受験を控えた学生たちが恋というひと時の青春をすごすことも素晴らしきことだ。
しかし、明日香という素晴らしき地でわざわざそんなことに励む必要はまったくないのではないか。そんなことは普段の教室で励めばよろしかろう。
たぶん先生方としては、歴史の勉強の一環といったねらいがおありだったであろうと思われるのだが。


この年はゴールデンウィークがひどい飛び石連休だった。飛び石連休直前の平日が遠足にあてられた。その後飛び石連休突入。休日の谷間の授業なぞダルイの一言に尽きる。そんな朝、ふと「そうだ、明日香に行こう!」と思った。華麗なる自主休校である。財布の中身を確信した。電車賃は十分だ。ワタシの家から明日香まではいくら隣県といえど、大変遠かった。電車賃も相当なものだった。


あちらこちらの遺跡をひとりでじっくり見学した。堪能した。宮跡とかただ礎石みたいなのがざーっとあるだけなのに、むちゃくちゃ感動した。大体ワタシはこういった妄想できるものが大好きなのだ。どうして多くの人はこういうものに浪漫を感じないのか。

まだ17歳だったワタシの突発的な行動には今でも満足している。



晒し祭り

一体誰得なのか!?という画像である。

2010/05/14-01

これがぶち抜き押し入れ上段。
カオスだ。
PCが家族共用なので取り合いになることがしばしば。
ここと対面に台所がある。
いわゆるダイニングキッチン的なところにこのカオスゾーン。


2010/05/14-02

上の画像の下段。
撮影のために取り除いてあるが、普段はこれらの手前には大量のメディアファイルがずらーっと並んでいる。


2010/05/14-03

これが前回述べた天袋。
あまりの重量にいつ落ちてくるかドキドキ。


別の部屋の押入れ下段は相方の本で埋め尽くされている。その画像は自粛。
しかもワタシも相方も、小説はさらに別の部屋の押入れ上段に詰め込んでいる。その画像はもっと自粛。カオスすぎるから。


ホンマ誰得な画像。
でもこれで昨春大粛清した後なんだぜ?まったく一般的に人はどのくらいの本類を所有してるのが平均なのか。しかも上の娘専用の大型本棚があって、そこにはワタシのもとから移動したマンガがぎっしりなんだぜ?『ときめきトゥナイト』とかさ。まったく財産なんかちっともないのに。これに相方のCDの山がまだあるんだから。







殿堂

如何せん狭い我が家である。しかしむやみにモノが多い。収納は死活問題である。ありがたいことにこの借り物の我が家には押入れがやたらとあるので、幾分マシな状態を保とうと思えばできないことはないのだが、油断するとすぐにモノが氾濫するので定期的にテコ入れする必要がある。

押入れまるごとひとつ、引き戸を取っ払って、モノ入れ兼ワタシの本収納場所兼家族共用パソコンのデスクにしている。その上の天袋の引き戸も取っ払って、やはり本を並べている。

その天袋には写真集や美術展の図録なんかをメインに並べているのだが、マンガも少し並べていて、そこに並べているマンガは「殿堂入り♪」と勝手に称している。
以下殿堂入り一覧↓


萩尾望都「ポーの一族」「トーマの心臓」「11人いる!」「百億の昼と千億の夜」「銀の三角」「スター・レッド「訪問者」
    
大島弓子 大島弓子選集   「綿の国星」「サバの夏が来た」「ロストハウス」

山岸凉子「日出処の天子」「馬屋古女王」「アラベスク」

わたなべまさこ「ガラスの城」

内田善美「星の時計のLiddell」

里中満智子「天上の虹」

水樹和佳子「イティハーサ」

大和和紀「あさきゆめみし」

吉田秋生「櫻の園」「河よりも長くゆるやかに」「夢見る頃をすぎても」

竹宮惠子「アンドロメダ・ストーリーズ」

岡野玲子「陰陽師」


実際のところ「これはマイ殿堂入りだぜ!」っていうのはほかにもいろいろあるのだけど、なんというか上記のものは無意識に別格扱いして高いところにあげて敬意を表しているというか。豪華本だったりするから、大半のマンガと同じには並べたり積んだりしにくいっていうのもあるけど。


走る人

上の娘を幼稚園まで自転車で送り迎えしていた当時、ほぼ毎朝すれ違う男の人がいた。その人はいつも走っていた。

出勤がてらのジョギングらしい。一駅手前から走っていると思われる。どこまで走っていくのかまでは知らない。格好はジャージなどではなく、山下達郎スタイルのネルシャツにオーソドックスなジーンズ。背中にリョックを背負い、シューズも割合普通のスニーカーのよう。かなりの大雨風でもない限りその人は毎朝走っていてすれ違った。

ほぼ毎朝すれ違うだけの人ではあるが、「知り合いではないけれど必ず見かける人」というのは、ワタシが若い頃に電車通勤していたときにも存在した。毎朝見かけて嬉しくなるような素敵な人もいたが、大抵の毎朝必ずといっていいほど出会う「知り合いではないけれど必ず見かける人」は、繰り返される平凡な毎日の象徴のようだった。
その当時のワタシはなにかしらパワーが有り余っていたのかただのバカな若者だったのか、とにかく「平凡」を嫌った。平々凡々たる一市民だったのにね。平凡、すなわちそれは「つまらないもの」という認識でさえあった。


上の娘が卒園して6年経った。この春、下の娘が上の娘と同じ幼稚園に入園し、再び自転車で送り迎えする日々が始まった。朝、人々がそれぞれの行くべき場所に足を急がせるその中に身をおくのも久しい。

えっちらおっちらと自転車をこぐ。
すれ違う人の中にその人はいた。走っていた。上の娘を送っていた当時とまったく変わらない姿で当時とまったく変わらないペースの走りで。

感動を覚えた。

一体彼がどういった目的で毎朝走っているのかは知らない。健康のため、とか市民ランナーである、とかなにかしらの理由があるのかもしれない。理由はどうであれ、ワタシが朝その道を通う必要がなくなった後も、きっと彼はずっとずっと走り続けていたのだろうと思う。そう推測するに疑いようのない、まったく変わりない姿だったのだから。

ワタシはいつしか、繰り返される平凡な毎日をありがたく感じるようになっている。「繰り返される平凡な毎日の象徴」は同時に「無事に朝が来た安心の象徴」なのだ。そう感じるようになった。歳をとるのも悪くないと思う。



のんびりすれちがい

週末は定期歯科検診に行った。
イコール恒例のお楽しみである大型書店探検だ。

2010/05/11
絶賛ひとりおせいさん祭り。
ワタシのように全集を泣く泣く買い揃えられない人々の救済処置ともいわんばかりに、近頃おせいさんの文庫版は復刊やら再版やらなのか多く見かけるようになり手に取れるようになった。う、嬉しい。



久しぶりにドラクエ9のすれちがい通信をすべくDSを持ち歩いた。
3月に廉価版が出たとはいえ昨夏秋のように激しくは、というよりほとんどすれちがえなくなった。すれちがい希望者が集まるポイントがあって、そういった場所に出向けばまだまだそれなりの数すれちがえるようだが、それはしない。偶然を求めるワタシなのだ。
結果3時間くらい出歩いて4人とすれちがい。修学旅行中の学生さんとすれちがった。みんなとはぐれて迷子になってるというメッセージだったのだが、果たして無事仲間と合流できたのか。遠方から観光に来た、というお嬢さんらしき人ともすれちがった。普段全然忘れてるけど実はワタシ観光地で暮してるんだよな、とあらためて思う。

地形が水の最高ランク地図を誰ぞからもらえた。しかもちょっぴり有名系の地図だった。おかげでクエストいっぺんに消化できた。よっしゃー!水の最高ランクは自力で出すにはなかなか大変らしく、ワタシも例にもれず困っていたのだ。


今回酒は買わず。
手湿疹(主婦湿疹)再発で現在アルコールは控え気味。



『のだめカンタービレ』24巻感想

さて『アンコール オペラ編』である。
パリ編の終盤のシリアスな雰囲気はどこかへすっ飛んでいったベタなコメディーに戻っていて、初期の学生編を思い出させてくれる。ワタシとしては『のだめカンタービレ』はこうであってほしく思っていたので、とても面白く読めた。

のだめと千秋のベタ甘な恋人っぷりを見たい読者には物足りないだろうが、ワタシはちらりと匂わせるちょっとしたワンカットなんかで十分だ。千秋という男は決して人前でベタベタしない古典的むっつり系だと思っている。甘甘を直接表現されてもワタシのイメージとずれてしまうので困ってしまう。


オペラ編の連載初回は掲載誌を買ってみた。初回ということで登場人物の顔合わせ的なものでそれはそれでいいとして、どうにもページ全体がスカスカした感じで画の劣化が目についた。
パリ編で画がとても魅力的に感じた時期があって、それが終盤どんどん力を失っていったかのように見えて、しかもストーリーもどすーんとシリアスになってたし、なんだか残念に思っていた。画の変化はどんな作品にでもあることだが、勢いを失ったように感じられる(私見ではあるが)のは読んでいて悲しいものだ。
ここまで力を失ってしまったのか、と思っていたオペラ編初見だったが、今回単行本(以前から繰り返し申し上げているが、ワタシは当世の「コミック」という言葉にどうして馴染めない古典的なマンガ読みである)を読んでみて、スカスカに感じた画が気にならなかった。雑誌のページの大きさからグッと縮小されるからなのか、「スカスカ」でなくほどよい空間に感じた。これまでずっと単行本で読んできたのだから突然雑誌で読むなということなのかもしれん。「目に慣れた」ということはやはり、ある。

ストーリーは学生編のR☆Sオケ創設の頃のような感じで、ワタシとしてはこういうのが読みたかったんだよーといったところだ。のだめがブー子こと菅沼沙也に危険な臭いを感じたりするあたりがいい。千秋は容姿だけで人を見る男でなく、才能とそれ以上に努力をこよなく評価し、なにより強烈な個性の持ち主に弱い。そのあたりをさすが恋人だからか、のだめがよくわかっているかのような描写が面白い。
その最たる人はのだめなのだよ、と読者としてはニヤリとしてしまう。甘甘でなく、こういった面でのだめと千秋の関係を見る楽しみをワタシは覚えるのだ。




あぶたま

食に対して考え方があまりにかけ離れた人とは親密にはなれない。友人でも恋人でもそうだと思う。
別に好みの食べ物がなにからなにまで一致していないとダメ、とかそういう極端な話ではない。もっと簡単なことで、「お菓子で腹を満たす」とか「値段が高いから美味い」とか、そういう感覚の人とは残念ながら本音でつきあうのはワタシは難しく感じる。自分の器量に合った手の届く範囲の食を大切にできる人とワタシはおつきあいしたい。

友人なら常に寝食を共にするというわけではないのでそのあたりが若干あいまいでも話題や趣味が合えばなんとかなったりするのだが、恋人や夫婦ともなると寝食が相当に絡んでくるので、とても重大な問題だ。

寝食、すなわち「寝ること食べること」は男と女の最重要事項のひとつであるだろう。
性の不一致、食の不一致はその仲に大きな溝をつくることになる。セックスにも食事にも相手への思いやりがなければなんともならん。例えば食事の場合、男女どちらでもかまわないがどちらかが料理をしたとして、作ってもらう側が先に出来たおかずを全部食っちゃってた、みたいなことは許しがたい。逆に作る側が作ることそのものを目的にしすぎてて台所にこもりっぱなし、みたいなのもどうかと思う。
なにも気の利いた話題が食卓に必要なわけでもなく、でも一緒に食べるから楽しくて美味しい、という感覚こそが重要なのでないか。


この手のことをワタシは若い頃におせいさんこと田辺聖子氏の小説で大きく頷かせられた。確かにその通りだわ、とまだまだ小娘だったワタシは大層感動したものである。

おせいさんの小説には、自分の器量に合った手の届く範囲の食の大変美味しそうな描写が多く、しかも男女の機微がそこに織り込まれていて、それらは夢のような世界の話ではなくごく身近なまるで自分の隣にいるような市井の人の話なのだ。


『オムライスはお好き?』は不景気でヒラ社員に降格されたのにかえってのびやかに楽しく日々を暮すおとうさんの話だ。
「あぶたま」なる食べ物が登場するのだが、それは「油揚げをせんぎりほどに刻んで、うす味でおいしく煮つけ、そこへ溶いた卵を流しこんで煮たものである」らしく、おかあさんがこの料理を知らないのでおとうさんが自分でいそいそと作り美味しくがっつり食べる。
おとうさんが自分の食べたいもの(オムライスが一等である)を料理し食べることを楽しんでいる姿を見ていてある日おかあさんが爆発するのだが、おかあさんが主張する一度やってみたかったことというのはラブホテルに行く、ということなのだ。
長年共に暮してきて色気もなにもなくなっていたはずの中年夫婦の間に瞬時にエロっぽい気分が生まれる。それもおとうさんには「結構、結構」な気分である。
いざラブホテルにやって来たおとうさんとおかあさんは「あんなホテルで、たべもの取りよせてたら、高うついて勿体ないわ」とお弁当持参である。そのお弁当はおかあさんが作ったものなのだが、あぶたまがおかずなのだ。あぶたまを知らなかったはずのおかあさんがいつのまにかうまく煮くようになっていたわけだ。
なんともほのぼのとした夫婦の物語である。

早速ワタシもあぶたまを作ってみた。ごはんに抜群にあう庶民の味であった。



草食化とかじゃなくて

のどから手が出るほど欲しいっていうものがあんまりなくなった。「これ買えなきゃ死ぬってわけでもねーし」っていうのが呪文。のどから手が出るほどではないにせよ、手に取って家につれて帰りたくなる本はホントのところいっぱいある。でもセーブできるようになってる自分に「大人」を感じるのでなく情けなくも「老化」を感じた次の瞬間、自分で自分に腹が立つ。まだそんな歳じゃねーんだよっ、たぶん。


2010/05/07-01



チーかわいいよ、チー。
アホすぎてかわいい。
ノラ子猫の生きる厳しさと孤独がさらりと描かれていてガラにもなくきゅんとなる。


おせいさんの全集を買う銭が捻出できぬ悲しみを文庫版復刊で救済される庶民なワタシ。ありがたい。文庫版は庶民の味方。やっほーい。


2010/05/07-02
相変わらず背景が汚い。



http://www.shoutoku.co.jp/shiki/

あまりのビンのかわいらしさに惹かれて購入。
さらりとした純米吟醸。冷やしてどうぞ、な夏の味。

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あをによし

近年恒例の「春がなくていきなり初夏」攻撃なお日柄でございますが、しばらくぶりです、どうも。

先の長雨と激冷えのせいで久しぶりに本気で体調がおかしくなってしまっていたのですが、タイミング良く連休だからゆっくり休むぜ、と思ってたのに。

休めるかーーー!
ごはんは年中無休だぜ。
しかも家族がそろって休みってことは腹減り部隊がすぐそばに常に控えてるってことなんだぜ?和気藹々と家族団らんは悪くないとして、でもかあさんがゴロゴロ休息するヒマはどこにもないんだぜ?
衣類の冬物から夏物への入れ替えもようやく済んだ。収納と整理、毛布なんかの大物の洗濯なんかに結局丸一日は費やした。とほほな感が否めないながら、動いてるから逆療法で体調回復する自分がなんか腹立つ。


さて、レジャー的なことをまったくしなかったわけではなく。
「せんとくんのところに行こう」と平城宮跡へ。相方とワタシの目的は復原した遣唐使船と大極殿、娘たちはおべんとう持ってピクニック気分。

2010/05/06
↑第一次大極殿。でかい。中に美しい高御座がある。
人は多いが見学には思ったほど並ばなかった。



どえらい人出も想像以上だったが、それ以上にせんとくんのおそるべし露出度よ。右向いても左向いてもせんとくん。しかも初登場時どえらい叩かれたアレはなんだったの?ってくらいのせんとくん公式グッズ売り場の大繁盛ぶり。動くせんとくんには会えなかったれど、歴史館でせんとくん出演の歴史学習アニメを観て娘たちは喜んでいた。愛知万博をふと思い出すようなVRシアターの出来がなかなかのものだった。

奈良方面の歴史は京都関係の歴史よりも少々マニアックな感じがする。ワタシは『日出処の天子』『天上の虹』読者なので、かつてどはまりしたこともあったし、大変素晴らしき大イベントだと思った。


翌日上の娘に『日出処の天子』『天上の虹』を薦めたが、いつか読むだろうか。読んでほしーなー。



いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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