スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不覚にも

すっかりと買ったモノ記録を忘れていた。
この一連の記事を書くのに必死になっていたからと記憶する。


2010/06/24-1



結構前に買った新装版『アンドロメダ・ストーリーズ』と、突然無性に並べて置きたくなってしまい、衝動的に買った新装版『地球へ・・・』。竹宮惠子の名作のひとつだ。文庫版が初入手だったのだが、現在それは知り合いのもとへ長い旅に出てしまっていて、もう長い間読んでなかったし、『アンドロメダ・ストーリーズ』と同じカタチで並べて「う、美しい・・・!」と感動できたし、満足。

萩尾望都『レオくん』は本屋で見かけて、心底驚いた。萩尾先生がネコマンガ・・・!大変なネコ好きでいらっしゃることは前々から知らなかったわけではないのだが、それにしても萩尾先生がネコマンガ・・・!なんていうか、イメージになかったぞ。


ウッドハウスのジーヴスシリーズのマンガ化らしい『プリーズ、ジーヴス』。この作者のことを全然知らなかったのだが、原作が大変面白かったので。(まだシリーズ全部を読んだわけではないのだが。如何せん本のお値段が高い。でもホントはかなり続きを買いたい。)
しかし、しかし!なんたる不覚!買ったもののその後他の小説とかばかりに没頭していたからか、すっかりこの存在を忘れていた。嗚呼なんたる不覚!小説の山積みはしばしばのワタシだが、マンガだけはそんなことしたことなかったのに!なんか誰に謝ったらよいのかわからないのだが、ものすごく誰ぞに謝るべきな気持ち。
すぐ読む。今日読む。


以下はつい一昨日買ったばかりのもの。


2010/06/24-2


なんか方向性が数年前と大違い。








スポンサーサイト

『フェルマーの最終定理』

以前こちらに書いたが、ワタシは根っから数学が苦手である。
中学数学までは問題なかった。問われていることがそれなりにすぐわかった。問題の文章も日本語的に意味不明に感じるものはなかった。公式や定理の暗記も若干はあったように思うが、別段複雑怪奇だったわけではない。
高校数学に出会ってすぐ「虚数」を教わった。これがワタシの肌に少しも合わなかった。そういったものだ、と思えばよかったのかもしれないのだが、物語の架空の世界には憧れすら抱けるのに、そこにあるんだかないんだかもわからない数の話をされたところで、一体なんなのさ?といった気持ちにワタシは占有されてしまい、それ以上向き合う意思がさっぱりなくなってしまった。

一体どうやって高校3年間の数学系の授業を過ごしギリギリで単位を取得したか、少しも記憶にない。補習を受けた覚えがあるので、先生がなんとかかんとか手助けしてくださったのだと思う。
「君は進路はどうするの?」と聞かれたことがあって、「とにかく私立文系です」と答えたらば、「そうだねー、その方がいいねー」と淋しい笑顔をうかべていらした。数学嫌いが発展して理系すべての教科を投げてしまったので、ワタシはセンター試験も受けなかった。ちなみにその前年まで共通一次と呼ばれていたそれは、ワタシが高3の時からセンター試験と名を変えたのだ。


さてサイモン・シン著『フェルマーの最終定理』である。
これはフェルマーの最終予想を証明しようとした数々の数学者たちの壮大なノンフィクションである。大河ドラマと言ってもいい。数学の知識が乏しくとも問題なく読めるし楽しめる。先に述べたような数学嫌いのワタシでさえ完読でき、その上大変興奮し感動したからである。

「万物は数なり」とは昔のとってもエライ人の言葉だが、数の世界を解き明かすことでこの世の真理を知ろうとしたわけである。これははもはやワタシの概念にある数学ではない。点を取るために問題を解くという行為しか知らないことはずいぶんと淋しいことなのかもしれない。古代ギリシャ哲学をふと思い出し、これも高校で教わったのだが、全然別の教科だと思っていたのにつまりは大変密接したことを実のところ教わっていた、ということを今更ながらおぼろげながらも理解した。

「数学的証明を探すことは、他のどんな学問分野で蓄積された知識よりも絶対的な知識を探すことなのだ。そして、この二千五百年のあいだ数学者たちを突き動かしてきたのは、証明という方法によって究極の真理をつかみたいという強い願望だったのである。」
と『フェルマーの最終定理』の第I章早々に述べられている。

数学の「証明」というものも中学数学での記憶しかないが、確かに手習い程度に触れたことはあった。およそ数学をやっている感覚が薄く、数式や定理はもちろん用いるのだが、なにしろ回答に多くの「言葉」を必要としたため、どうにも奇妙な感覚に捉われたものだ。重箱の隅をほじくるような気持ちにも捉われた。
「数学って一体なんなのよ?」と思ったのである。

学校ではほとんどの場合残念ながら、公式を覚えて計算するモノという概念しか培われないのだ。こちらの方面に感覚の鋭い人ならば、「壮大な真理を知るための下準備」だと捉えられたかもしれない。しかしワタシは大変ににぶい脳しか持ち合わせていなかった。今思うに大変残念である。競技に取り組む前のアップ段階なのだと思えば、高校数学ももう少しは楽しめたかもしれないのだ。得られたかもしれない知識を自分から投げ捨てた行為を悔やむのは、やはりそれなりに歳をとってきたからだろうと思う。しかし別に今からでも遅すぎるわけでもあるまい。せめて高校数Iのレベルくらいまではこれから少しずつでも理解したいと思う。

閑話休題。

「フェルマーの最終定理」とは


3以上の自然数nについて、

Aのn乗+Bのn乗=Cのn乗  

を満たすような自然数A, B, Cは存在しない


というものである。


一見ずいぶんと容易なものに見える。ワタシでもこの計算だけならできる。しかしこの一見容易なものが、「ホントにそうなるか証明してみ?」となると、一筋縄でいかないどころか迷宮入りだったわけで、果たして多くの数学者を悩ませる悪魔的存在になったわけだ。
フェルマー、恐ろしい子・・・!(白目で顔にたて線をイメージしてください)

これを証明してみせようと多くの数学者たちが挑戦する長い時の中で、更なる新しい理論や概念が生み出された。それらの積み重ねが現代のアンドリュー・ワイルズによる完成された証明に繋がるのだが、ではフェルマーは本当にこの最終定理の真の証明を完成させていたのか?これについては疑問視されているらしい。飛躍的に進歩した現代の数学の理論やテクニックを用いてやっと証明された事実から鑑みるに、そういったもののない時代のフェルマーには証明できていたはずもない、もしくは証明が不十分であっただろう、ということである。

フェルマーは
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」
平たく言うと「オレ答えわかってるけど、ちょっともう書くとこないし、やめとくわ」
と愛読書だった過去の偉大な数論書にさらりと走り書きしていた、らしい。

フェルマーがこう言っているならば、現代の数学者たちが思いもよらないような方法で本当に証明できていたのかもしれん、となんとも浪漫あふれた考えもあるらしい。懐疑的にしろ浪漫的にしろ、数学者たちの思考というのはまるでコンピュータのCPUのように近寄りがたいだけのイメージだったのだが、実のところ人間味あふれるところも垣間見れたような気分になった。

大体『フェルマーの最終定理』全編において、非常に人間模様を綿密に描いている。最終定理に挑んだ数々の数学者たちの生き様や歴史的背景が、壮大なドラマを繰り広げていくのだ。
もちろん証明を完成するために用いられた理論のことなども記述されていて、それらはワタシにはなんのことやらさっぱりわからんのだが、でもそういった理論がこの時点で形作られたんですよ、その理論を提唱したのはこういった学者で、この人はこういった生き様の中で研究を続けこの理論に達したわけです、といった感じの構成になっており、知識がなくともすんなりと読み進められるので大変ありがたかった。なにより様々な人間ドラマの行方が気になるばかりで、難しい理論がわからずとも十分に惹きつけられた。


「机上の空論」とはよく言ったものだが、しかしそもそも数論というものは机で考えて計算して書くものであったわけだ。数学者たちは机の上に己の思考の世界をトレースして研究を重ねてきたわけだ。
机なめんなよ、と言ったところか。

「洗練された美しくも完璧な証明」との対比として、いまや(性能の差はあれど)日常当たり前に一般家庭にすら鎮座するコンピュータについて最終章で触れられている。
すべてコンピュータの計算によっての証明は果たして数学的証明たりえるか?容認する動きと反発する動き双方に言い分があろうが、つまり行き当たるところ、美意識の違いなのかもしれない。
まあこれも大変平たく言うならば「年賀状はすべてパソコン作成のプリントアウトがいいか、やはりオール手書きをまっとうすべきか」に似てなくもないよね?やはり美意識が問題なのか?



以下、ワタシがネットで出会ったフェルマーの最終定理に関する読み物について



+ Read More

帰還

昨夜は小惑星探査機はやぶさの地球帰還ネットライブ中継と某大型掲示板のスレッドを必死に追った。

日本宇宙少年団(YAC)のネットライブ中継はダウンがかなり頻繁で一体なんの中継をやっていたのかもよくわからないほどのものだったが、19:51のカプセル分離の際の管制室の拍手はこの中継で聞けた。
NECの管制室ライブ中継は、こういった場所を目にする機会なぞこれまでにほとんどなかったものだから、関係者であろう人々が忙しく行きかう様子などをかなりじっくり観られて興味深かった。しかしやはりダウンも多く、某大型掲示板でWindows Media Playerで観た方が画もみやすい、という何方かの書き込みを頼りにブラウザ視聴からそちらに切り替えようとするもやり方がさっぱりわからず、相方に至急救援を求めたところ快く処理してくれ、その後特に問題なく観られた。念のためにブラウザの方もアクセスしたままにしておいたが、ある時間からはずっとダウンしたままだった。NASAの管制室よりもずっと簡素に見え、見た目に派手であれば良いというものではないにせよ、どうにもJAXAの運営の大変さを垣間見たような気持ちになった。
はやぶさ大気圏突入1時間前くらいから和歌山大学宇宙教育研究所によるカプセル落下推定地オーストラリアのウーメラ砂漠からのライブ中継にアクセス。時が近づくにつれダウンが頻繁になるも、まさにその時の、はやぶさが花火のように美しく燃え上がり地球に帰還するその姿をライブで観ることができて、深夜近くにも関わらず「おおーーーっ!」と歓声をあげてしまった。
いろいろなネット中継はとにかくアクセスするのすら困難だったり繋がってもダウン続出で、如何に多くの人々がアクセスしていて、多くの人々がはやぶさの帰還を心待ちにしていたか関心があるか、それをよく表していたと思う。

その後。NHKとNASAによる更に鮮やかなその時の映像も観たけれど、ライブで観た和歌山大学のそれは感動のレベルが違った。

モノの擬人化、萌え表現に走りすぎるものはワタシもさすがにちょっとどうかと思わないでもない。しかし「それは所詮機械だ」と一刀両断にはできない思いもある。
はやぶさは確かに機械にすぎない。しかし、現状で人が遥かに到達することができない地まで旅し、満身創痍の身ながらも長い長い道のりを地球に向けて戻ってきた姿に、多くの人は感動したのだ。はやぶさはもちろん機械で、そのシステムや構造を用いてあらゆる困難を地球の関係者の鋭意努力で克服したわけである。しかし「たかが機械」と片付けるにはあまりにドラマティックな旅路だったのだ。
モノにはその後ろに必ずそれに関わるあまりに多くの人々が存在するのだ。彼らの思いを背負ったとき、モノはただのモノではなくなる。
長年自分の生活を支え続けてくれた家庭電化製品が壊れてしまった時、一抹の淋しさを覚える人も多かろう。
ワタシはワタシのためだけに存在してくれたiMacが昇天した時心から悲しかった。言いようのない喪失感を覚えた。社会が急速にネットありきになっていくその過程ずっとワタシのために稼動してくれたのだ。明日から一体どの子とやっていけばいいのだろうか?と途方にくれたのをよく覚えている。それから何代とパートナは替わったけれど、いまでも初代のあのiMacのことは忘れられない。
家庭用電化製品ですらこうなのだ。一体これまでにはやぶさに関わった人々の思いはどれほどのものか。

「所詮は機械だろう?」と話を片付けたがる人がいるとして、その人はお茶碗に残った米粒をどう思うか。短くなった鉛筆をどう思うか。モノの後ろに人がいるのだ。


はやぶさのイトカワへのタッチダウン前後、ワタシは下の娘の出産前後だった。通常のときと違う時間の過ごし方をやはりしていて、自分の趣味や興味の向くもの等、すべてシャットダウンした時期であった。遡る事、はやぶさの旅立ちの頃ワタシの身内間において、大変重大なことが多かった時期だった。やはりあらゆる自分のためだけのことをシャットダウンした時期が長く続いた。ゆえにワタシははやぶさのことをリアルタイムで詳しくは知らない。せいぜい一般報道で見聞きした程度だったのだ。

あれから7年。はやぶさの長い長い旅路を思う時、ワタシの身の回りの大きな変化をも思う。
義父は亡くなり、下の娘という新しい家族が加わった。その娘ももうじきに5歳になる。
如何にはやぶさが長い旅路にいたのか痛切に知らされる思いだ。

宇宙への挑戦、その旅というものは、どれだけの実験・考証・推測・計算があろうとも、結局はやってみないとわからない、というものなのだ。未知なわけである。今云われる宇宙の姿というものも、のちの時代に笑い飛ばされる説なのかもしれない。しかしそれに挑む人々がいて、そして一般人ならばぐるぐるするだけの思考を理路整然としようと努めているのだ。
はやぶさの放った最期の光は先導の光だと思う。
そしてはやぶさに感動を覚えた次世代が健やかに育つことを切に願う。


宇宙というものへのグルグルとしたワタシの感覚は不思議な心地よさをもたらす。「神秘」という言葉だけでは語り尽くせない「大いなる」なにかを感じて、それは更なる感動でじんわりと包み込まれる。






拍手御礼

ワタシが思っていたよりもずっとたくさん拍手をいただいてまして。

ああ、なんかもう、ありがとうございます!なんかもう、すみません!


グダグダと私見を書き連ねているだけのものではございますが、少しばかりでも「面白いこと書いてるんじゃね?」と思ってくださったならば、歓喜。この上なく歓喜。


なんか自主制作映画にどっぷり熱中してた頃を思い出しました。
「なかなか面白かったよ」と言ってもらえたらホントに嬉しかった。アンケートで批判を書かれても、でも最後まで観てくれたんだなー、ってやっぱり嬉しかった。だってつまらないのだったら別にとっとと席を立ってしまってもいいのに。


拙宅は宣伝活動も全くしていないし、トラックバックも拒否設定にしてあります。参加しているSNS内の自分のスペースにひっそりと拙宅へのリンクははってありますが、それだけです。

こんな辺境に来てくれてありがとう。



以下、拍手レスです。

+ Read More

『サクリファイス』『エデン』を読んで その5

『エデン』はミステリ・サスペンス要素がほとんど無くなり一段とスポーツ小説の色合いが濃くなった。それで良いと思う。『エデン』はワタシにはさらに面白く読めた。舞台がツール・ド・フランスになったことで、スケールが大きくなった感がある。

しかし続編、というよりもシリーズ化しそうな様相だ。写真家深雪という女性キャラクタは重要なポジションだったわけではないのが如何にもその後の物語で登場しそうな存在だ。『エデン』では顔出しだっただけのようだった。実際のところ作家と編集者がどうしたいかは知らないが、これはあからさまにシリーズ化の匂いがするとワタシには思えた。

ではそういった匂いがするから今現行のものを読んでもつまらないかというのは間違いで、十分面白いよ。面白い、という言葉で片付けようとするワタシは語彙力が貧困すぎると思うのだが、ワタシは面白いと思うものにあまり多くの言葉をつけるのが苦手だ。ここまで長々とグダグダと書き連ねているクチが何を言うか、と言ったところだが、しかしながら本当のことだ。面白い、で終わらせるのはいくらなんでも酷すぎるから、頑張って自分なりにあれこれ考えて肉付けしてこのザマだ。気を抜いたらもっとえらいことになる。それはたんに読む側への迷惑行為にしか過ぎないのでこうして乏しい脳ミソをなんとか働かせてできる範囲で推敲しているのだ。

もう結局これだけ長文になっちまって、でもワタシの文章は説得力がないのであるが。とにかく『サクリファイス』→『エデン』ともの凄く没頭して一気読みしたのだ。それが感想の体言。山岳ジャージの獲得に戸惑いと誇らしさを同時に感じるチカに、ワタシは思わず祝福の笑みをこぼしたほどに物語に没頭したよ。


2009ツール・ド・フランスで新城選手が、別府選手が映るたびにやはり目が釘付けになった。
最終ステージ、「パレード」という、最終ステージはコース終盤まで和やかに選手すべてがサイクリングするのが慣例らしい。そしてシャンゼリゼ通りを周回する終盤突如レースがエキサイトした。別府がシャンゼリゼを先頭で逃げる姿はなにか言葉にできない光景だった。感動と言えると思う。ワタシは過去1度しか海外旅行したことがなく、そのわずかな旅の中でシャンゼリゼも歩いたのだ。そのシャンゼリゼを別府がひとり逃げていた。ワタシがたまたま観始めた年にとても良いものを観させてもらったと思う。別府選手はこの逃げで最終ステージの敢闘賞を獲った。


サイクルロードレースはテクニカルでファイジカルでインテリジェンスなスポーツだ。日本でも更に普及すれば良いと思う。地球環境に考慮した政策を政府がとなえるならば、もっと自転車が走りやすい環境を整えるべく働くべきだとも思う。日本国内において、自転車は歩行者にとっても車にとっても邪魔もののレベルの存在なのだ。健康と環境のために自転車に移動手段をうつした者が肩身が狭いというのはどういったことか。あまり政治的な話をするのはワタシの本意でないのでここで止めておくことにする。


結構な年齢のおかあさんでもロードバイクで走ることに憧れを感じるのだ。それほどになにか魅力的なものを秘めている。


『サクリファイス』『エデン』を読んで その4

さて、『エデン』の表紙に惹かれて、のその前作の『サクリファイス』である。期待しないわけがない。”本屋大賞”なぞの煽り文句に興味はないが、サイクルロードレースが物語の舞台とあってはワタシの期待は高まるばかりであった。それが外れたときどれほど落胆するかも明らかだったが。

通算数時間で読み終えた。嗚呼!面白かった!おい相方よ、仕事の帰りに『エデン』買ってきてちょーだい、と命じた、いった感じだ。

中編といったボリュームで、あっという間に読み終えた。文章は極めて簡潔。青春ものである。そこにミステリというかサスペンスの要素が含まれているが、正直それはどうでもよろしい。はっきり言ってミステリとしてはつまらない。なんだか無理矢理その要素が盛り込まれている印象。しかしながらこの作家はミステリ作家らしく、申し訳ないがワタシはまったく他の作品は読んだことがないのでどうとも言いようがないが、『サクリファイス』に関してミステリ的要素はつまらなかった、というよりどうでもよかったのである。

ロードレースに関する記述や描写は初心者にとても親切で、かつ臨場感があった。実際のロードバイク乗りの人がどう感じるかはワタシにはわからない。こちとらママチャリ乗りにすぎないのだ。しかしロードレースというものへの丁寧かつ簡潔な説明と緊張感のある描写をワタシはとても楽しめた。

ミステリとしての人物の配置やキャラクタ設定はとてもステレオタイプに感じた。かつての恋人との再会や主人公が尊敬するエースへの疑惑の掛け方など、2時間ドラマ的なノリにしか感じられなかった。
袴田という登場人物なぞ2時間ドラマだったらあの役者だろ?と思うくらいにステレオタイプすぎる。主人公のチカの初恋の人でありかつての恋人だった香乃はただの自己陶酔女系にしか感じられない。このキャラクタが魅力的に感じる人とはたぶんワタシは口論になる。全然魅力的な女性に感じられない。
疑惑のエースが実は物凄く思慮深くて日本のロードレーサーの成長のためにあらゆる犠牲も厭わないほどの覚悟がある、といった描写もじわじわと読者に訴えかけるものでなく、土壇場でバタバタと説明されているにすぎないように感じられる。もしミステリとしてサスペンスとして読者を揺さぶりたかったのならば、かつての恋人と尊敬するエースとその因縁深き元選手のキャラクタ付けと描写は、もっとどうにかしようがあったと思う。謎解き部分もとってつけたように感じ、無理矢理の強引さしか感じられない。もしミステリ小説またはサスペンス小説として期待して読むならそれは止めた方がいいと思う。

これは青春小説だとワタシは思う。これはスポーツ青春小説だ。
ワタシはこの作家がどういった人であるかまったく知らなかった。あえて一切余分な情報を取り入れなかった。しかしながらどうしても目に入るので文庫版の表紙折り返し部分の作家紹介に目を通すと、ミステリ小説を書いている作家であることは間違いないだろう。その方向のこの作家にワタシの興味は今のところ申し訳ないが向いていない。ところが結構な青春小説作家であるのでないか、と思うのである。この読後の清涼感は作家のもたらした力量である。

さて、ワタシがこれまでに述べたことは否定的な要素が多いかと思う。しかしながらワタシはこの小説をとても面白いと感じたのだ。それは主人公チカのロードレースにおけるアシストとしての自分の立場や覚悟を描写している点である。「勝利」に関する捉え方は少々屈折しているようだが彼自身は結局眩しいほどに真っ直ぐな心根の持ち主である。アシストという役割に直感的に生き甲斐を感じる主人公にワタシはたまらなく魅力を感じた。
ロードレースを観るようになって日がまだ浅いワタシではあるが、エースの勝利の影にアシストの懸命な働きがあってこそ、という場面を観るからだと思う。ロードバイク乗りの人がどう読むかはワタシには未知数である。しかし当たり前のことであるが実力の世界でありキャリアがものを言う世界であることは一目瞭然である。展開のアヤは所詮偶然なのだ。必然と偶然と対価の交錯する世界のようではないか。




『サクリファイス』『エデン』を読んで その3

先日の定期歯科検診のときに寄った大型書店で入手した本はすでに記事にしてアップ済みであるが、そのとき平積みされている本のひとつに俄然注目した。
近藤史恵『エデン』である。
ロードレースのワンシーンの写真が表紙で、帯の文句が「今度の舞台は、ツール・ド・フランス!」だった。ワタシが惹かれないわけがなかった。
よくよく帯を眺める。「あの『サクリファイス』(大藪春彦賞受賞、本屋大賞2位)の感動と衝撃が蘇る!」
もう帯で陥落である。
本によくある表紙買いと帯買いであるが、がしかしこの日ワタシの購買欲はおせいさんの小説の方が優先順位で上だった。

この作家のことをさっぱり知らなかった。きっと有名な作家なのだろうが、これまでにワタシとの出会いがなかったわけであるからして知らないのは仕方ない。いつでも好きなだけの本を手に入れられるわけではないのだ。欲は尽きなくとも銭は有限である。勘で購入に踏み切るのはバクチである。
しかしワタシは決して立ち読みはしない。それはワタシの本読みマンガ読みとしてのポリシーにどうしても反する行為だからである。ましてハードカバーの小説なぞを立ち読みするという行為はどうにも理解しがたい。
読んでみたいというインスピレーションを感じたならば、買うか公立図書館で借りるか、ワタシにはその2択である。しかしながら図書館にしげしげと通うわりには実のところあまり”借りて読む”ということが好きでないワタシである。たいていは”買う”か”諦める”という2択なのだ。図書館に通うのは、本屋で自分がスルーしてしまいがちな作家の本にあえて注目してみる、という意図で通っている。

この出会いの時点で『エデン』と『サクリファイス』は”買う”か”諦める”その2択のリストに入れられた。恋と同じで中途半端な出会いは嫌いなワタシなのだ。両極端な結論しか持たない主義なのだ。

「リサとガスパール&ペネロペ展」を堪能した日は、大型書店にも行った。歯科検診で行く書店とは別のところで、規模もずっと大きい。本当はもっと頻繁に通いたいと思っている店である。本当に久しぶりに行くことができて嬉しかった。どうして自宅からさほど遠いわけでもないのにこれほどに訪れることができないのか。それは生活の優先順位の問題だ。ワタシは優先順位を重んじる実は変なところで生真面目で柔軟性のないヤツなのかもしれん。

それはさておき、ワタシはそれほど日を置かずして『サクリファイス』文庫版に出会った。これはもう運命なわけだ。迷わず購入するべく買い物カゴに入れた。大型書店にはカゴが置いてあるよね?ワタシは完全に食料品を買うノリで本を買ってしまうタイプなのだ。本気で買うときはカゴがいっぱいになるのだ。この日は普段の欲を抑えたストレスが爆発した日だった。しかしながらこういった日は年で数えるほどしかなく、しかし結果的にカゴいっぱいまで購入するけれども相当葛藤し購入の選別をしているのだ。『サクリファイス』はこの時”購入”の方に選ばれた。もうワタシに読まれて好きなように感想を持たれるしかない籠の中の鳥状態なのだ。(なんか、文章がおかしくなってきた。でもこのままでレッツゴー)



『サクリファイス』『エデン』を読んで その2

ワタシはロードバイクに乗って走ったことがない。しかし前々からどこか憧れがあった。たぶん弟が趣味で乗っているから、というのもある。近年軽快に走っていくロードバイクを見かける機会も増えた、というのもある。

突如まことに現実的な話になって申し訳ないが、下の娘を幼稚園に送迎するためにワタシは毎日自転車には乗る。娘を後ろに乗せてママチャリで走っている。電動アシスト付ではない。上の娘も過去同様に送迎した。子供の送迎であるからもちろん安全第一の走行である。
幼稚園までの道は途中傾斜はたいしたことはないもののダラダラと長く続く上り坂がある。安全第一の走行とはいえこのダラダラ坂を上るには体調や気持ちが影響する。気分良く一気に上ることができる日もあれば、どうにも体が重く感じペダルを踏む力が出ない日もある。
たかがママチャリだ。日常の足にすぎない。しかし青空に恵まれた快適な気温の朝の空気の中軽快に上っていける日は、その後一日やはり気分がよく調子もよいものだ。グダグダとしか上れなかった日は、娘を幼稚園に送り届けて自宅に戻ってからも何事につけ腰が重い。どうしてもやらなければならないことがあるならばカラ元気でやりすごすのだが、あとにまわせることばかりならばすべてを保留してしまいたくなる。

己が出るものなのだと思う。
ロードバイクとママチャリでは性能は雲泥の差であるし用途もまったく違っているが、しかし己の足でペダルを踏み走ることになんら違いはないだろう。
もしもワタシがロードバイクで走ることができるならば、一体どういった走り方ができるのだろうか。憧れがつのる。弟がいつか一緒に走ろうと誘ってくれている。走ってみたい。しかし実際問題入手するためには金銭が乏しく、例えそれがクリアされたとして娘たちを留守番させてまで走りに行く、というのはワタシの選択肢にはない。彼女たちが親を必要としない彼女たちのなりの休日の過ごし方ができる年齢になるまで、ワタシのロードバイクへの憧れは憧れのままだ。それに運動能力に自信なんかあるわけもなく、むしろ衰えにげんなりする体たらくなワタシなのでロードバイクで走ることは憧れのまま生涯を終える可能性はかなり高い。だからこそ、テレビ観戦に力が入るわけである。


2009ツール・ド・フランス以降は観られるだけのレースを観ている。ブエルタ・ア・エスパーニャや世界選手権、今年に入ってからはパリ~ルーベなどのクラシック、そして2010ジロ・デ・イタリアである。ジロはそりゃあもう開幕から鼻息も荒く、とにかくじっくり観るぞ!とはりきっていたのに、嗚呼なんと寝落ちの多い日々だったのか!ワタシは春以降夜にありえんくらい弱くなった。要は遅くまで少しも起きていられないようになったのだ。これは下の娘が入園したことによる余波である。起床時刻が歴然と早まったからなのだ。そのせいで少しも夜は起きていられない。故にジロは満足できるほどに観ることができなかった。それでもいくつかのゴールまで観られたステージはやはり興奮した。ツール・ド・フランスは来月開催だ。その前はワールドカップがあるし、寝落ちの魔の手から逃れたい。



『サクリファイス』『エデン』を読んで その1

昨夏、たまたまテレビでツール・ド・フランスの序盤戦を見た。確か3戦目だったと記憶している。

サイクルロードレースのことは、ツール・ド・フランスとかジロ・デ・イタリアとかいうレースがあって、それは自転車で何日も長い距離を走るレースで、アームストロングという有名な選手がいた、とかいう程度の、つまりはほとんどまったく何も知らない状態だった。

そのたまたま見たレースで、何故だか理由はさっぱりわからないけれど、ものすごく惹きこまれた。なんという面白い競技だ!と思ったのだ。
生放送で現地と時差があるからレースが終わると25時過ぎになったりするので寝落ちしてしまったりしたこともあったが、とにかく毎晩レースを観るのが楽しくてしょうがなかった。たぶん日本人選手が2名出場していて印象に残る中継での映り方をしたことが少しあったのも興味と親しみを持てた一因だと思う。
実況や解説の人が、初心者にもわかるようにロードレースとはどういったものであるかを説明してくれたりもあったから、日毎ほんの少しずつだがルールがわかったり基本的な戦略がわかったりして、ますます楽しくなった。

ロードレースは個々の成績を争う個人競技のようでありながら実は団体競技であるところが、とにかくド素人のワタシにはとても面白く映った。チームのエースを勝利に導くためにその他のメンバで役割分担をしてエースをアシストする、という戦術の大原則は、団体競技ならば当然のもののようであるけれども、自転車には個人が乗って走っているわけで、なにも知らなければ個人が走って競っているいるようにしか見えない。乗っているのは個人でも走って競っているのはチームという団体、という「ロードレース」はそれまでにワタシが見たこともないスポーツの世界だった。

総合成績で優勝を争う可能性の高い選手は中継中よく映るし、とかく有力選手は実況や解説でも多く話題にのぼるので、視聴者側も注目して当然である。もちろんド素人のワタシの目もそういった選手にいくわけだが、しかしながら様々なアシストの姿を見るのもまたとても面白く、興味深かった。

レースの流れが落ち着いている時、大集団からすっと下がりチームのサポートカーから何本もドリンクのボトルを受け取りジャージの中にどんどん詰められるだけ詰めてからまた集団に戻っていきチームのメンバそれぞれに手渡していく選手。メンバのひとりがマシントラブルに見舞われたならともに止まって解決ののちぐいぐいと先導し遅れを取り戻させる選手。時にレースが動きそうな局面でエースのタイヤがパンクしたら、自分のそれを外して譲りとにかくエースをすぐさまレースに復帰させる選手。

あげるともうキリがまったくないのだが、アシストの仕事や働きは多種多様でまったく見飽きないのだ。その上でレースの重大な局面で各有力選手のガチンコ勝負なぞが繰り広げられると、興奮は最高潮である。
徒歩でも辛そうなほどの勾配の山岳コースを上っていく選手の様はもはや呆れるほどの力強さだし、傾斜のきつい下り坂をどう見てもブレーキかけていないだろうと思うくらいに凄まじい速度で下っていく様は鮮烈だ。

しかし戦略の一環でやみくもに上位を狙わずに遅れをとらない程度に走るだけという日もあったりする。メンバそれぞれの持ち味を活かしつつチームの設定した目標を最終的に達成するためにあらゆる頭脳戦が繰り広げられていて、しかしいざレースが始まると思ってもみない展開のアヤがあったりもする。毎ステージ目が離せないのだ。



いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

カテゴリー
最近の記事
月別アーカイブ
06  05  03  02  01  12  11  10  09  08  07  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02 
最近のコメント
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
本・雑誌
1282位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
694位
アクセスランキングを見る>>
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。