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うちは何時でも既視感だらけの食卓

佐々木倫子といえば『動物のお医者さん』かと思うが、これ以前の短編や連作に例えようのない個性的な秀作も多い。


『林檎でダイエット』を代表とする雁子と鴫子姉妹のシリーズは、ホントのところ結構な美人姉妹なのに天然ボケでベタな性質と変ににじみ出ている生活感のせいかあまりモテず地味に暮らしているはずの日常にほんの少しばかりの事件というほどでもないけれどでも普通そんなことはまあないわなー、的エピソードの短編連作である。

このシリーズでワタシの最も贔屓にしているのが『既視感のおかず』である。
要は「食卓がなんの代わり映えもないやんけっ」というのが発端で、「賞味期限にはもっと気をつけるでしょ、常識的に考えてっ」みたいなところに行き着くだけのストーリーなのだが、この短編にこそ作者の個性が凝縮されているとワタシは切に感じているわけだ。

もしお手元に単行本なぞあればご覧になっていただきたい。
冒頭「北海道といえども夏は暑い」のコマである。北海道土産のベタで古典的な代表品”木彫りの熊の置物”を彷彿とさせる威嚇クマの絵を煽る「北海道」の文字上のルビ的「おっかいどう」、かつそのコマ右下の手書き”タバコは市内で買いましょう”。もう語る言葉なしこのセンスに脱帽、だ。物語の導入の小さなコマにそれらを詰め込む感覚ぞ。姉妹が北海道在住で舞台は夏という設定、かつ作者も北海道在住ということでそれらが描かれて特に深い意味もないコマであるかとは思うのだが、とはいえ”タバコは市内で買いましょう”という地方の昔ながらの古びたタバコ屋の窓口付近でしか見ないような標語をまさか少女マンガのひとコマで見ようとは、という衝撃である。

続けて既視感(デジャビュ)という感覚の説明コマ直後の
「今朝だって西瓜の種が行方不明になったというのに」
という不可解な言葉。は?西瓜の種?行方不明?と思考は煙に巻かれるようだ。

そして既視感を鴫子が覚えた食卓の全容として、おとついの夕食、きのうの夕食、きょうの夕食、とメニューが絵で描写される。要は食材使い回しの連日似たようなおかず続き、ということなのだが、ここで突如あまりの生活感出まくりの説明描写にかえって一気に話に引きずり込まれる、という計算されつくした展開なのか否かさっぱりわからず、いやはやとにかく恐ろしいばかりの突飛とも言える展開。

でどうして代わり映えのないおかずなのかという雁子の説明に入り
「暑くて夜しかまともなものを食べない、そんな生活でヘタに食材の補充はできないから残っている材料の使いまわしがマンネリの原因だ」
とあっさり理由が解き明かされる。
さらには残りの食材だけに賞味期限切れもザラだという爆弾発言。就職浪人している雁子がヒマなので炊事を全面的に担当しているわけだが、つまりは賞味期限に対してあまりに無頓着であるという事実発覚。それに大いに衝撃を覚える鴫子であった。

で、「行方不明になった西瓜の種」は、暑くて夜しかまともなものを食べない姉妹は、日中口当たりのよいアイスだとかソーメンだとかスイカだとかばかりをテキトーに食べているに過ぎない、ということで、日中雁子がスイカを食べているときタネが落ちて服の中に紛れてしまい探しても見つからず下に落としたかと思えばそうでもなく何処に行ったかわからなくなってしまい、それを「行方不明」と表現したということ。結局寝間着に着替えている最中、ヘソの横にひっついていたのを発見し満足気な雁子と、姉のマイペースさ無頓着さにげんなりする鴫子であった、というオチである。


なんだ、このストーリーは。淡々とながら実は畳み掛ける展開である。実にどうでもいい小ネタで一本短編を描ききってしまう作者の力量にワタシは感服するわけだ。
日常の小ネタというものはさほど面白みがあるわけではない。それは受け取り手の感覚に左右される筋合いのものが多い。すなわち多くにうける爆発力にかけるのだ。いわば深夜ギャグの世界である。


メジャーになったからあえて批判する、というのをワタシは好まないが、この作家はこういったマイナージャンルでこそ素晴らしいセンスを発揮すると思っているのは事実だ。



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「子猫ではない、風の音だつた事を確かめてから、ほつとする。」

ネコ好きならば『ノラや』の人としてだけはなんか知ってるぞ、という内田百である。
ワタシもネコ好きのはしくれとして中公文庫にまとめられたそれをやっと読んだ。今夏の酷暑ですっかり放棄してしまっていた読書のようやっとの再開一発目である。茹ってすっかりゆるんだアタマに旧仮名遣いは適度なリハビリだったかもしれぬ。内容がとにかくネコ一色なので、まったく難解なものではなし。


ノラについて、ある日ふらりといなくなってしまった後の喪失感による深い悲しみの日々の中で回顧するばかりなのがもの悲しく淋しい。こういった時にノラはこうだった、ああいった時にノラはああだった、という記述がノラが帰宅しない現実を浮き彫りにするばかりで、捜索のための広告を出せば多く優しき励ましの声もあるが、中には心無い愉快犯よろしく冷ややかな言葉を投げかけるろくでなしもあり。
自宅への帰り道を見失ってノラ自身も迷い悲しんでいるに違いない、という筆者の推測がまたなんとも切なくなる。
およそネコ一匹失ったところで狼狽し嘆き悲しむようなタイプではないような印象の人だったらしいのだが、老年に可愛がったネコだからなのか、秘めていただけで根本はそういった人だったのかはわからぬが、しかしノラが失踪してからの筆者の状態は現代で言うところのペットロス症候群そのもので痛々しい様である。
ワタシはこれまでに数々のともに暮した小動物を見送ってきたが、死は目の前にある現実だった。どれだけ悲しんでも命は帰ってくるものでないのだ。喪失感は自分自身が克服するしかない。
しかし失踪はまた別だ。生きているかもしれない、いやきっと生きている。帰ってくるかもしれない。それは一体いつか。果たして本当に帰ってくるのか。可能性と諦めの狭間で心の着地点がないのだ。

クルツが登場するところまで読み進めると、正直ほっとした。
ノラの代わりだとは思わない。しかし大変不躾な発言と自覚するが、小さき生き物をを失った悲しみは新たな小さき生き物が癒してくれるものだ。記憶の上書きでは決してない。筆者の記述からも、クルツを愛しんでもノラへの愛情は少しも薄れず、ただ思慕と回顧への悲しみがほんの少しではあるが薄れているように感じる。
そのクルツもやがて病を得て亡くなるのだが、看護に尽力した果ての死である。姿かたちが似ていたというノラとクルツの顛末の違いがここにあるのだが筆者の悲しみは比較しようがなく、もう二度とこんな悲しい思いをしないようにネコと暮さない、という選択へと至るのだ。それがまたもの悲しい。


もの悲しさを感じると同時に、筆者の飼いネコへのあふれる愛情を感じて、しんみりしたりにっこりしたりと忙しい。
クルツのためにお刺身を毎夜調達し食すメインはネコで筆者はそのお相伴にあずかるというスタンス。鮨屋の握りの玉子焼は必ずノラにやった、とかノラの体調が思わしくなく、「バタと玉子とコンビーフを混ぜて捏ね合わせた物」を与えた、とか。もちろん当世のネコ飼い事情や知識にあわないことも記述されてはいるが、しかし当時の筆者ができるだけの愛情をネコたちに注いだ様もよくわかる。ネコのしぐさひとつ行動ひとつまで大変鮮明に描かれていて、奥方が病気で入院された折にネコを相手の晩酌の膳でにゃあとしか答えぬものに対してえんえんとひとり語りしてみたり、果たしてにゃあとしか物言わぬものに対してえんえんと語ってしまうことは多くのネコ飼いが思わずやってしまうことのひとつではあるが、あの心理は一体なんなのか。
ネコは聞いていないようで聞いてくれている。


百先生のことは黒澤明『まあだだよ』と『ノラや』でしか知らないのが申し訳ないやら情けないやらであるが、少なくともこれだけネコに愛を持てる人なのだからどれだけ偏屈だったとしても絶対悪い人ではない、と決めてかかってしまう自分の単純さよ。
文中列車の旅のあたりとても面白く、その方面の先達として大変有名らしいことも『ノラや』を読んだことで知った。ぜひネコ話以外の百先生の本も読んでみたく思い、読書への意欲が再燃したことはやっと今夏の長く苦しく茹る闘いが終焉を迎えたのだと喜ぶ。



本屋に近づくことすらしなかった猛暑でした

2010/09/18-01


この数ヶ月で買った本。
猛暑にへこたれて少しも本を読まなかったのだから買った数が少なくとも全然不思議でない。逆に読みもしないのにどんどん買ってばかりいたとしたら、やっと過ごしやすくなってきた今頃未読の山に気が付いて、なんだか言いようのない変な気持ちになっていただろうと思う。


2010/09/18-02


ワタシにしてはありえんくらいに本屋に立ち寄らなかった盛夏、相方と娘たちの付き添いで久しぶりにぶらりと立ち寄った本屋で、一目見て、これは!と購入。
こういった類の本や雑誌にはまったく無縁だったのに、一般人の興味をこれでもか、というほどに誘ったはやぶさはやはり素晴らしく偉大だと思う。




以下、拍手でいただいたコメントのお返事。




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ランニング その2

ここ数年お家エクササイズは断続的といえどそれなりにやってきた。しかし走るということはまったく別次元のような気がする。ランニングやウォーキングがこれだけ流行っても自分は無理だろうと決めてかかって、やってみようと思わなかった。大体「ただ歩く、ただ走る」という行為に苦行のようなイメージしかないのだ。
しかしこう言ってはなんなのだが、超不摂生の運動不足の相方が「気持ちわりー」と言いつつも上の娘と同じように走っていたでないか。ならば今のワタシは相方よりもそこそこエクササイズしてるし、もしかしたら・・・?と思ってしまった。

週明け、相方が出勤し上の娘がランニングのために早めに登校し下の娘を幼稚園まで自転車で送っていった後、ワタシに気まぐれに芽生えたチャレンジ心を抑制するものはなにもなくなった。
気温は高い。しかし炎天下というほどでもない。水分補給の術さえなんとかしておけば問題ない、とばかりに準備して一家で走った同じコースへ向かいいざランニング開始。

歩くのに毛が生えた程度のペースだ。でもそれでも全身にどっしり負担を感じる。ビリーやトニーのエクササイズで感じる体への負荷とはまた別のものだ。走るというのは、例えウォーキングレベルペースの走りだったとしてもやはり負荷が違うらしい。
暑い。汗が滴り落ちる。走るフォームなぞひどいものかも知れぬ。でも川のある風景はゆったりと広く気持ちが良い。どうにも無理だったら歩けばよい、と気楽に構えているおかげか、のろのろとながらも足が動く。遠目にしか見えなかった風景が目の前に近づく。

結局、あそこまで走れたらいいかもねー、と思っていた地点まで、あくまで歩くのに毛が生えた程度の速度ではあるが、たどり着く事ができて大変満足した。もちろん息は上がっていて、有酸素運動限界スレスレの状態だったと思う。
復路はウォーキングにしたおかげなのか翌日身体の反動はそれほどなかった。


というわけで、調子に乗ってしまいそれから毎日走っている。

お家エクササイズも決して悪くはない。楽しいものだ。っていうか楽しいと思えるものしかやらない。楽しいと思えないとお家エクササイズなんてやってられるかつーの。
しかしやはり外の空気は違う。
ワタシは大変ひきこもりがちな人間であるが、別に外が嫌いなわけではないのだ。

走る堤防のコースはなかなかに素晴らしい風景だ。ロケーションは大事だと思う。小休止時、水分補給しつつ辺りを眺めると、空が高く広く、川岸の緑は鬱蒼と青々としていて、暑いとはいえ川からほんのりと涼やかな風を感じる。近くにほとんど人もいないものだから、
「ふはは!この景色は今すべてオレ様だけのものなのだ!」
と地球征服を企む悪者のように、アホらしい満足感にひたったりできるのだ。

ウォームアップとクールダウンを兼ねたウォーキングを含めたった5キロという距離ではあるが、やるじゃんオレ、わはは!とずいぶん満足している。別にレースを目指しているわけでもないので、これでいいのだ。




ランニング

夏休み明けの学校から、上の娘の学年は「心身の鍛錬のため」毎朝早めに登校しランニングをする、という知らせがきた。
残暑というより猛暑残る現況に、酷なことだな、と正直思ったが、ワタシに似てダラダラ性分の娘にしては思いのほかそれなりにやる気になっているらしく、ならばとたっぷり水分補給のためのお茶を水筒に用意してやるだけであった。

数日後、下校後の娘が「放課後の練習にも参加する」と報告に来た。毎朝のランニングは全員参加で、それとは別に放課後になにやら自由参加の走るトレーニングがあるらしい。毎冬に駅伝大会があって、その選手に選抜されたい生徒向けの練習ということだ。
娘はとてもじゃないがその選手に選ばれるほど走れない。それが目標なのではなく冬の持久走大会での自分のタイムを上げるために練習しようと思う、とのことだ。耳を疑う程の勤勉な発言におかーさんがちょっとジーンと感動したのは内緒だ。

先生が「放課後の練習にも参加する人はランニングシューズを履いたほうが足への負担が減るので好ましい」と仰ったとのことで、年中自転車操業的我が家の財政をそれとなく察知している娘が申し訳なさそうに「買ってはくれないだろうか」と相談してきた。ダラ娘の珍しくも積極的な意思に内緒ながら感動しているおかーさんが即答了解したのは言うまでもない。
ちなみにここ数ヶ月毎晩終電帰りのまともに休みなしで働く相方にこのことを伝えたならば、やはりワタシと同様の感慨だったらしく、無理無理に久しぶりの休みをとって大型スポーツ用品店に連れて行ってくれた。

上の娘はインドア派である。なにかしらのマニアになりそうな気配もする。親に似たのだ。しょうがない。
しかしながらワタシと相方は思春期は体育系活動をしていたので、娘にもそういった期間を過ごして後にインドアの趣味に勤しんでほしいと常々思っていた。体の鍛錬はアホらしい体育系のノリは除くとして成長期に必要であると思う。でも強要するということほどアホらしいことはないので、それについてはほとんど口を出さずにいた。本人の選択だ。好きにするがよい。

しかし娘も成長しているのだ。
ワタシや相方が思っている以上に、娘なりの意思や考えががあるのだ。青臭い「頑張ろう」と思う気持ちには親バカながら感動させられる。目標が小さかろうが大きかろうが子の純粋な意思が親は嬉しいものだ。


トレーニング用シューズといえど専用のシューズは履き心地良かったらしく、「早速走ってみたいなー」と言い出した。ワタシも相方も一瞬沈黙してしまった。娘は暗に、一緒に走ろうよ、と言っているのだ。
我らは走れるのか?はっきり言って自信がまったくない。

「あー・・・、パパが走ってあげなよ」

先に言ったもの勝ちである。
相方はプライドの高い男だ。娘に誘われたならば、よーし、おとーさん頑張っちゃうぞー、と走るに違いない。超運動不足なのだ。倒れたら困るが限界くらいはわかるだろうから、ちょっとは体を動かすが良い。
そこに下の娘が「一緒に走るのー!」と言い出した。

結局シューズ購入記念試走ということで、一家総出で近所の川の堤防を走ることになった。上の娘と相方はふたりのペースで走ってもらうことにし、ワタシは下の娘が気の済む様に引率するために超スローペースで走ることとなった。相方は無理してるとしても上の娘はなかなかのペースで走っていく。どんくさい娘だと思っていたが、それなりにやれるんだな、と感慨深い。
下の娘はまだ5歳、当たり前だがペースなぞわかるはずもなく体力もそれほどない。一緒に走って引率のワタシが疲労することはない。
相方はガチで走ってみて分かってはいただろうが体の衰えに愕然としたようだ。上の娘はシューズの試走に満足していた。下の娘はみんなでお出かけしてご機嫌。ああ安い楽しい休日だ。

「うえー、気持ち悪いー」とか言ってへばる相方を横目に下の娘を引率しただけのワタシは、一体どれくらい走れるのだろうかと、ふと思った。




いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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