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殺伐とした世界へ旅立ち

2010/11/16-01



「Fallout:NEW VEGAS」
相方が現在プレイ中。
が、仕事が山盛りでロクに休みも取れていない現況の彼は、日付が変わる前に帰宅できた日の深夜にちまちまプレイしている模様。
「あ゛あ゛ぁっ!」
とかいう相方の奇妙な叫び声が寝床の隣の部屋から聞こえてきてびっくりして目が覚めたりする。
「明日も朝早いんだからねっ」
とか怒ってもおかしくないのかもしれんが、ワタシはふと、
「あー・・・そんなリアルに驚いて声が出たりするゲームとか、おもしろそーじゃねーか、チクショー」
と思ってしまった。


ということで


2010/11/16-02


「Fallout3」をプレイ開始。
こちらで相方がプレイしてたものです。

あー、とうとう始めちゃった☆テヘ☆(←サバイバルの興奮でキャラクタ崩壊中)


どんな感じのゲームかっていうと、







                                   、_人_从_人__/
                                   _)
 ,..r;;:  (  人)  ) ,;`ー、          | ヽ丶       _) 消  汚
 ヾゞ、  ゞ'´   '`´   `ヾ、     ─|─           _) 毒   物
          -‐':、ゞ'``  ,l      / | ヽ            _) だ  は
ヾ、 ゞ;;.  ,r-、   `ヾ、    ヽ、                   _)  l
, rヾ    ,r!/r'ヽ    '`      \      _|_      _) っ
   _,,,.,ノ、_ ヽ,       `ゞ;;    ;:、    /|        `) !
,r‐'''" ,.r ,イ彡ミミヾ、      ``  ´;;i             V^V⌒W^Y⌒
__,.;;,ィ'´ ,:;;;;彳彡ミ;j`、        `i;:、      オ
;; ヾ、彡;;;ノリ;jjjjj;;;jr' i   . ノ;;:'' `゙`、 ``ー、                   ,ィ
彡冫;;il;;;ミ;;;;;y;レ  ,t'´           ,.、ー、  ゝ     ォ             i|l;
;'イ;;;'ヾ``ヽ、ィ;;i ,ri'´    ヽ ヾノ ,ry' il'Y゙r    ヽ、            ,j|l;;
j'´ '´ '´/ゞ';;::`´ヽ    ``´ー  ゙i ;;: ,r'      )  ,r、       ,rヾlir'ミ,
  / ,;:' '´/ ー≡;i{、      /ヾr'´  ,.   '`;;:、 〉ゝ  r-ー-、_ ,{i=i= }i、
ーr-、j ,! ,;',;'ィ;;:イ''``ゞ、_,、-‐'´ヽ:;/ 、 ``ヽ  ;:、 `' (´  `ゞ、;;;;'',,fi、,≡:;イ==、
,,:'  ``ゞ、,;;ゞ、 "´イ ,... `'彡 ,/´  `ヾ、ヾ   '    ー、  ii;j `i;;!'´ニil';;;;ゞr、_,r'ミ
'   ー‐─ ,rー'゙ー─-、_j;:r'´     ヾ,ゞ         、 ゞ,ミ;:l;;l  ,!  ,!,i;;'´¨/
;.   r-‐;;'"}            ``ヾ、  ノ       ,;;;: (i,;)))、,,:;!、__,:};!_,.、l
....   _,,,ィ、 i        'ヾ人  、}( /     ノ   ,r'i  r'"ヾ-‐i‐-:;イ, / ヾ
    ,.r'´,ィ'l、   _ィ;;、   、,.ミミ'´ ,;:'´ハ   '´  ,j ,r'  }ミ,r;}ゞ‐'─l:::.i  ,jl
,l:.   ヾ;'´イ'´ト、_  j (_,r'´(`'´`ー'´,ノ  i; l  (`'´ Y´     ,イ≡=‐-ゞ、,r'
キ:.  ,.彡;:、    }ヽ、'´ `   、,;{   ゙レ   ,ゝ'        i;;;:: ,;:li三ミ;}jlK
'i   ,r'"´,;ゞ、_,.イレ'゙、         ,.{ i'   )        ,イ ;;;;;;jk三ミ}゙kiヾ、








っていう感じ。
(AA貼るの初めてなんでずれてたらごめんなさい)


「荒廃した世界でクールビューティに憧れつつも所詮は世間知らずだもんでついつい人助けしてしまったりして、でもそんなアタシがなんかイヤで気まぐれに冷たく人をあしらったりするお嬢さん」をロールプレイ中。
ワシワシブッ殺してガシガシヌッ殺されまくってます。

殺伐とした世界で意気揚々と殺伐としたくなった旅立ち。(ウェイストランド生活で言語に障害が生じております)
レティシアで主人公一行を放置しているドラクエ8はどーなったんだ?っていうのは言わないお約束。
パックツアーは今のアタシには必要ないのさ。

追い剥ぎまくり。





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特別すぎた娘 その9

ナウシカは墓所を破壊するよう、死の間際のオーマに命じる。
生命を弄ぶかのような存在を破壊すると同時に、人類が再び高度な文明を手にできる手段をも破壊する。隠蔽された怪しくも忌わしい計画の中にも閉塞した人類の未来を再び発展させる技が残されている。汚染に適応させた改造された人間の組成を戻す技術も残されているのだ。
「汚染した大地と生物をすべてとりかえる計画」を承知したうえで古の技を利用し、浄化過程の時代を乗り越え未来を作り出すことは不可能でないとして、しかしそれはもうすでに繰り返し人間の邪心を呼び起こし争いを生み出してきただけなのだ。

小さな我慢も積もり積もれば辛苦となる。小さな嫉妬が積もり積もれば憎悪になる。それらは波状で呼び合い繋がり漂い、浸透する。悲しみも同じだ。連鎖する。人間の業は連鎖と輪廻のくさびから逃れられない。
個人であるならその鎖を理性と知性で断ち切ることは可能である。しかしそれは集団の心理に通用しない。大衆の心理を動かすには指導者が必要である。それはカリスマとも言える。しかし指導者の存在は思想の独占と強制の危険性を孕む。

巨神兵は「調停者」として戦争を紛争をすべての争いを、地獄の劫火の如くの火力を用い強制的に終止符をうつ。オーマという名を与えてくれたナウシカを「小さき母」と呼びナウシカの意思にのみ従う。ナウシカがシュワの墓所の破壊を望んだからそれに応えた。
旧世界には、巨神兵によって戦闘に介入して裁定しそれに従わぬものすべてを焼き尽くして清算しようとした者たちと、腐海を生み出して緩慢に清算させようとした者たちがいた。
それら旧世界の智恵たる遺物はナウシカの手によって相殺され破壊され旧世界からの因縁を断ち切ったのだ。


ナウシカは、「調停者にして裁定者」と宣言する巨神兵オーマに、神を思った。滔々と計画理念を語る墓所の主に「神というわけだ、お前は千年の昔、沢山つくられた神の中のひとつなんだ」と言った。
旧世界の破綻に瀕した時、すべてを清算する手段として人類は神とも見紛う存在を創生してしまった。不遜である。
そして時代は「神の使いの白い鳥の翼」たる天啓の娘を降臨させた。ナウシカは神の代理人たる「特別すぎた娘」である。神の代理人は全権大使さながらに個人の裁量で決定を下す。旧世界の因縁に「目的のある生態系、その存在そのものが生命の本来にそぐわない」ものの代表たる天啓の娘が引導を渡したのだ。


「気に入ったぞ、お前は破壊と慈悲の混沌だ!」

ヴ王がナウシカを称えて、墓所の断末魔たる最期の光からかばい守って命を落とした。毒蛇と恐れられたトルメキアの王も「特別すぎた娘」を支持したのである。
ここに天啓の「特別すぎた娘」が完成する。

完成された「特別すぎた娘」は混乱に生き残った人々の前に降臨する。
灼けただれた大地が夕陽を浴びて金色に輝く中に、滅する墓所が流した王蟲の血よりも青い液に染められた衣を纏った天啓の娘は降臨する。
「特別すぎた娘」は神格化する。

クシャナはユパの犠牲をもって、生き残った土鬼の人民と和解し共に崩壊したシュワへ赴いた。クシャナは「特別すぎた娘」たる友人の生還を喜び、手を取り合う。
住める土地をますます失い、毒に肉体を侵される不安を持ちながらも、混沌とした人間の精神が本来持つ生き抜くための智恵と理性を支えに、閉塞した人類の展望を見出そうとするのがナウシカの理念である。クシャナはナウシカの博愛主義に王道を見出したのだ。
世界の秘密をナウシカは隠し持っている。それを知る者はほとんどいない。

旧世界の計画や智恵を廃棄しあらゆる生命の命運を「この星」にすべて託す、というナウシカの決断は排他的ですらあるのだ。天啓の娘は人類の大きな賭けを独断で決断した。ナウシカの判断は正しかったのか誤りだったのか。答えは読者それぞれに違うだろう。だが「きっかけはどうあれ生まれた生命」の尊厳を守る決断でもあるのである。


ナウシカは「特別すぎた娘」たるヒロインなのである。
物語の終わり、ヒロインに清清しい笑顔はない。

「どんなに苦しくとも生きねば・・・」

という、人類の先の苦難を予感した笑顔である。
それはあまりに大きすぎる世界の秘密を抱え、手に余る重大な選択を独断で決断した陰のある淋しい笑顔であるかのようだ。


(了)




特別すぎた娘 その8

シュワにはトルメキア国のヴ王率いるトルメキア軍が先着して戦闘を展開していた。墓所を抱えて肥大化していた土鬼大僧会も「聖域」として中のことをまったく把握していない。墓所は大僧会の所属でなく大僧会が墓所の庇護の下にあるのだ。
こういった事実もすべて終盤でいきなり明かされるものである。
巨神兵も続けて単身で到着し、彼の言うところの調停と裁定に就く。調停とはすなわち停戦を指示することであり、裁定は破壊することである。
墓所と巨神兵は対峙し、互いに攻撃し合う。ここでそれぞれの出自を想像するに、旧世界の人類には滅びようとする世界を押し留めるために方法を模索したグループがいくつもあって意思は統一されてはいなかった、ということである。地球温暖化対策、二酸化炭素削減対策のための意思統一が図れない我々の世界と同様であろう。破綻に瀕してなお、旧世界には列強大国、数多の中小国それぞれに大義や思惑、意図があったであろうことは想像に難くない。
ついに火の七日間の再現に世界は晒された。


シュワのあらゆるすべてを巨神兵オーマは「裁定」し焼き尽くしたが、墓所は少しばかりの傷を負っただけで鎮座していた。ナウシカは蟲使いを伴い到着し、ヴ王と共に「墓所の主」と対峙する。


「なぜ真実を語らない、汚染した大地と生物をすべてとりかえる計画なのだと!!」
「お前が知と技をいくらかかえても世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか!」


墓所は旧世界の技を小出しに漏らし、思惑を封じて鎮座する。墓所内には時の流れに寄り添うあらゆるものの変化と外的要因を許さない。計画を粛々と進めるために選民し墓所を守らせる。土鬼皇帝がそれに当たっていたというわけだ。改造した人間はいずれ計画上廃棄するだけのもので、計画過程における墓所の守人のストックにすぎないのだ。旧世界のもはや悪意である。「世界浄化プロジェクト」が根本であり絶対であるならば、選民の必要は何処にもない。墓所は明らかに選民している。汚染時代を生きる人間は墓所の駒というわけである。

墓所に保たれる計画すべてをナウシカは否定する。
どのような形であれ生まれた生命は、生かされているのでなく自らで生命を全うしているのだ。計画の駒などではない。汚染に適応した人間が今は清浄な世界で生きられないとしても、生命の誕生と死を繰り返した永い先に種の変化があるかもしれない。それは腐海も蟲も他の生物も同様である。「この星」では生命の誕生と死を繰り返し、種の繁栄と衰退を繰り返し、やがて変化を呼んできた。世界が浄化されるための永い時間の先になんの変化もないはずがない、というナウシカの希望的推測である。

墓所における「世界浄化プロジェクト」はすなわち「世界リセットプロジェクト」であり、プロジェクトの完成に複雑な感情を持つ人類は否定され、「おだやかでかしこい人間」となるはずの卵を保管している。光があるから影が生まれる。表裏一体なのだ。それを否定することは世の理を否定することで不遜だ。墓所の計画は人間の時に愚かで時に凶暴で時に優しい複雑な精神を受容しない。清浄化した大地に新しい生き物として牙を抜かれた種が蒔かれる計画なのだ。
つまり墓所は世界を「再建」ではなく「再創造」する支配者たらんとしている。


「絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない。その人達はなぜ気づかなかったのだろう、清浄と汚濁こそ生命だということに。苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから・・・だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」

ナウシカの言である。


「精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるんです」


人界に生きる決意をした天啓の娘にとって、人間の業は美徳でもあるのだ。

墓所の主の言うところの、人間にもっとも大切なものが音楽と詩になった世界は理想的で桃源郷のようである。しかし「おだやかでかしこい人間」という本来の複雑な精神を持たなくなったものに、芸術を真に理解し愛す精神は宿るのだろうか。芸術は苦悩の末に生み出されるものが多い。複雑混沌とした人間の心が生み出すものなのだ。
「再建のための種を封じた庭」でナウシカは共に捕らわれたトルメキアの皇子たちが演奏する音楽によって、封印されようとしていた己の本来の、憎悪と悲哀、憐憫、優しさを同時に併せ持つ感情を取り戻した。
芸術とは覚醒させるものである。人間の一側面を削り取ることは歪で、芸術を解する心を削り取るのと同じでないだろうか。
墓所における「再創造」の計画に利己を見る。


(続きます)



特別すぎた娘 その7

物語の終焉を迎える第7巻は、これまで読者が認識していたことを悉く裏切る。
唐突にそれまでの世界観を覆されるのだ。


ナウシカは巨神兵と共にシュワへ向かう道中で果たして恐ろしい真実を知った。
腐海と蟲、という人類にとって暴力的な生態系は、古の文明の終末期に世界の汚染を浄化する目的で人類の手で造り出されたものであり、汚染されつくした世界で毒の耐性を身に持って生きていけるように人間の肉体も他の生物も人為的に改造された。組成を変えられた生き物は清浄な世界では生きていくことができない、という。

物語の世界観を根底から覆すものである。腐海と蟲は人類の敵か否か、それらと人類に共生の道はあるのか、人類の平安とは、と物語のはじめから模索してきたものは、これをもって霧散するかのようである。
事実を知ったナウシカの衝撃は、読者も同様に感じる衝撃である。
汚染した大地を浄化するという腐海の役割そのものに問題があるわけではない。汚染に耐えうる身体に人類を造りかえたのも致し方なかったのかもしれない。改造された生命すべてが清浄な大気と大地に適合できないことが問題なのである。浄化が進んだ先に改造された人類の生きられる地はすべて失われるということなのだ。「世界浄化プロジェクト」と言えばとても聞こえが良いものであるが、旧世界の腐海を創生したものたちが世界と人類の行く先を如何しようと考えていたのか。

ナウシカはシュワへの道程、巨神兵を息子と呼びオーマという名を与える。
ナウシカの生きる時代、巨神兵は「火の七日間」を起こした人型兵器だと伝承されるばかりだった。しかし名を与えられた巨神兵は突如知能のレベルを上げ人格すら形成し、自らを「調停者」であり「裁定者」である、と宣言する。破壊兵器に知能の必要性はないはずなのだ。
シュワに数々の技を残した人々、巨神兵を生み出した人々、それぞれの意図がナウシカの時代に正式に伝承されていない。それらを残した人々が同一なのか否かすらわからないのだ。
世界が滅ぶかもしれない瀬戸際の人間がなにを考えなにを生み出し後の世に残したかったのか、それらがすべてナウシカの時代にはわからない遠い過去の意図である。
千年という時は相当の単位である。混乱の時を超え記録が失われるのも無理はない。しかも時代の変化いうのは常に混乱を招くものだ。どれだけの高度な科学技術を持つ人間にも時の流れに抵抗できる術は持てない。それは人智を超えた次元の世界である。千年前の計画が粛々と遂行され続けることは可能か。推定と予測は千年という長大な時の流れには無意味でないか。

土鬼皇帝は古の技の延命措置で怪しい長命を誇った。そして蟲と腐海の木を人工的に生み出す生命を操る技、さなぎだった巨神兵を育てる技、浄化プロジェクトの過程を生き永らえられるために作り変えたはずの人類をわざわざ破滅に追いやるような大海嘯を起こす技、それらが何故シュワから漏れ出ているのか。
世界全体に秘密裡に張り巡らされた旧世界の意図の鍵はシュワの墓所にある。


ナウシカが世界の忌まわしい真理に行き着こうとする時、クシャナはいまだ人界の因業に囚われていた。
戦乱と大海嘯にあまりに多くのものを失いすぎた生き残りの人間たちは途方にくれ悲哀と困惑から生まれた憤りを解消できず浅ましくも代償を求めようとしていた。
歩む道を正そうにも陰謀渦巻く醜い世界だけを歩み続けた己にもはや後戻りは不可能、とクシャナもまた諦めを抱いていた。
両者をユパの犠牲が調停したのだ。

「血は、血はむしろそなたを清めた・・・王道こそそなたにふさわしい・・・」

ユパのクシャナに対する遺言である。
ナウシカは天啓の娘として、腐海と人、世捨て人たる「森の人」、卑しいとされる「蟲使い」、トルメキア人、土鬼の民、それぞれを繋ぐ象徴といつしかなっていった。
クシャナは執政者として人民の平定と平安をもたらすことができるだろう資質を混乱の中で育てていった。
ヒロインたちは時代の申し子たる。


(続きます)



特別すぎた娘 その6

大海嘯が治まって戦線はすでに崩壊したにも関わらず争いに終わりは見えない。土鬼皇帝の立場にも皇弟と皇兄の権力争いが存在し、大海嘯の波とともに皇兄の破滅への狂気が表立つ。
人民の平安を願って善政を布いた皇弟ミラルパは、やがていつまでもまとまらない人心に落胆しついには絶望し恐怖政治を執るまでになった。絶望は憎悪を生み出し圧政と粛清を繰り返し、自覚もないまま「虚無」に囚われながらも権力にしがみついた。
皇兄ナムリスはすでに皇弟が挫折して狂気を孕んだ経緯を見ている。人間の欲と愚かさに底はない。己もまた然り。

「俺はもう生きあきた、何をやっても墓所の主のいうとうりにしかならん。あとはあの小娘がしょっていけばいい」

シュワの墓所で皇兄が何を見て何を知ったのか。何を宣告されたのか。
皇兄の狂気は自暴自棄である。なにかしらの因縁から解き放たれるために手段を選ばず刹那的に覇権を得、世を嘲笑う醜い快楽を享受せんばかりだ。皇弟ミラルパもまたその因縁の楔に心身を囚われ虚無に陥ったのではないか。聖都シュワになにがあるのか。読者にもなにもわからない。

「火の七日間にいたる時代、生命の源をあやつる技が存在したと古い伝承にある」
「神聖皇帝の墓所でもある大僧院の奥深く、その技が伝えられてきたとしか思えん」

腐海一の博識の剣士たるユパの言である。
シュワについて物語内でこれまでほとんど語られてこなかった。わずかな描写はあれど、シュワがなんであるのかがわからない。
聖都シュワ、これがここからのすべてのキーワードである。


クシャナは大海嘯に飲み込まれる寸前の自分が育てた軍の救済の代償として皇兄ナムリスに政略結婚の名の下に捕らえられていた。クシャナはますます混乱し疲弊する大海嘯の後の世の平定を模索しているが、これまで己が歩んできた血塗られた道からの楔から解放される術がわからない。大海嘯によって戦線は崩壊し事実上の停戦状態となっていたが、皇兄ナムリスは巨神兵をもってトルメキアに侵攻しようとしていた。クシャナは正道がなんたるか漠然と認識しながらも目前の愚行の渦に埋没していた。

ここで天啓の娘と狂乱の愚帝は対峙する。
ここでふたりのヒロインも再会する。


巨神兵を復活前に滅ぼそうとナウシカは攻撃するがただの攻撃では通用しない。わかっていての攻撃なのである。その方法しかない、と思っている。ここにナウシカの安直さが見える。しかしおそらく誰にも解決方法は導き出せない。旧世界のものはナウシカの時代の人間には手に余り負えない。科学技術は失われ時の彼方に消えてしまっていて生活レベルが退行している時代なのである。

ついに巨神兵は復活してしまった。
皇兄が言う。

「結局はお前も火を使うのか。火では巨神兵は焼けぬぞ。」
「その怪物をとじこめた袋をお前は燃やしてしまった。救世主面したお前が怪物を世に放してしまったのだ!」

映画版で以下のような場面がある。
クシャナ軍に占領された風の谷を取り戻すために民衆たちは碌な武器も持たないが結束し蜂起する。戦車を一台奪ったご老人たちが軍の反撃から民衆を守り退避させるために最前線に向かうも捕らえられてしまう。
民衆に降伏を説得するようご老人方に強いるクシャナに語る。

「あんたは火を使う。そりゃあわしらもちょびっとは使うがの」
「多すぎる火はなにも生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てるんじゃ」
「わしらは水と風の方がええ」


映画版の清らかなヒロインは水と風を愛した。
原作マンガ版の「特別すぎた娘」も心根は同じであろうが火を使う。攻撃的な一面がある。語りかけ説得することだけで解決と調停ができないのだ。選択する術が無いのは事実としても直感で遂行する面が目立つ。

ここで読者を驚かせる展開となる。
旧世界の破壊兵器たる巨人という巨神兵が復活の時にナウシカをママと呼ぶのだ。「秘石」を持つナウシカをママと呼び幼子のように懐いてしまうのである。
天啓は「特別すぎた娘」に怪物すら与えるのだ。
ナウシカは巨神兵を息子と呼ぶことで火を使った責務を一身に負いシュワへ連れ立つ。「火の七日間」の再現になってしまうかもしれない危険性を承知しつつ、シュワの封印は巨神兵の力をもってするしか方法がない、と直感する。天啓の娘に逡巡はない。

すべて諸悪の根源がシュワにある、とナウシカは結論付けている。
巨神兵復活の混乱に乗じてナムリス一派を討ったクシャナもシュワに漂う忌まわしさを見極めようとナウシカの後を追い始める。
ヒロインたちは破壊と破滅の淵に立ちながら最後の旅に向かう。


(続きます)



特別すぎた娘 その5

風の谷を含む辺境諸族の民の祖先は「火の七日間」の後、腐海の脅威がまだ遠い地で「エフタル王国」と称えられた国を建設し、古の技を多く受け継ぎ繁栄を誇ったと「年代記」に残されているという。しかし利権争いが生じ腐海や蟲たちを人間の意のままに操ろうとした結果大海嘯を引き起こし、王国は滅亡し守ってきた古の技もほとんど失われたしまった。そのわずかに生き延びた人間たちが腐海のほとりに住み着いたのが辺境諸国の始まりだ、ということだ。ナウシカの時代に残る伝承である。

つまり辺境諸国には過去の教訓があるということだ。他の辺境小国のことは描写がほとんどないので判りかねるが、少なくとも風の谷は祖先の経験から苦難を乗り越え人間の浅ましさを認識し領分を守って静かに暮らしているということになる。
人間に学習能力がないわけではない。しかし予測してわきまえることはなかなかに難しい。大海嘯が起こるたびに被害にあった人間は自分たちの世の理を痛感するかもしれないが、蚊帳の外の人間たちにその悲惨さと苦難、知りえた教訓は伝わらない。いよいよ狭くなる人間が住める土地が学習のために犠牲を重ねることを許される余地は「地表のほとんどは不毛の地と化した」という記述から推測するにナウシカの生きる時代にはほとんど残されていないことになる。すなわち大海嘯が人類の滅亡を意味することになりかねないのだ。

そして大海嘯は再び人間の愚行により引き起こされた。ナウシカは絶望の淵に彷徨った。しかし腐海も蟲も人類を恨むわけでなく、ただ大地の傷を癒すために働いているばかりなのだ。あらゆる生き物に膨大な犠牲を及ぼして、でもなお人類への憐憫は残されている。

「特別すぎた娘」は破綻の淵で時代をつなぐものとして天啓与えられた。それはひとりの娘にとっての悲劇とも言える。しかし天啓を娘が自らが選んだとも言える。
復活したナウシカは人類の行く道を己が正しいと思う方向に示そうと王者の如く立ち上がる。自身が選ぶ道に迷わない。「特別すぎた娘」は迷う必要がないのだ。
けれどもこれはひとりの娘としては不幸でもある。もはやただの娘としての生き方は許されず、時代の行き先を先導する役目を自ら担ってしまった。それがナウシカ自身が望んだ生き方であるとしても、「特別すぎた娘」として必要な能力を与えられてしまった宿命に導かれている人柱であるのだ。
しかも「特別すぎた娘」は単独で道を決める。心の赴くままに応じる。ひとりの娘に時代を左右される人類もまた幸か不幸か。


(続きます)



特別すぎた娘 その4

クシャナは大義のない戦争という愚行を執る王家とその取巻きを憎みクーデターを狙っている。自分の育成した軍の多くは作戦の名の下にクシャナの手から引き離され死地に追い遣られている。自身も姦計に陥り多くの兵を失い、それでもまだ己を慕い待つ軍の救出と獲得に向かい進み続けた、自分の下で再び兵を集め挙げ国に帰り愚者たちに一矢報いるためだけに。しかし大海嘯による蟲の大群の暴走に巻き込まれ瘴気の中に遭難する。
攻撃的に暴走する蟲に膨大な人間の命は散っていく。地獄絵図の中でクシャナは自然と解脱するかのように思考が洗練されていく。愚行を繰り返す人類の正道に向かうべき糸筋を見つめ始めるのだ。

ナウシカは大海嘯によって自身の感情を処理仕切れなくなり歩みを止めた。クシャナは大海嘯によって自身の感情を越え、時代の動く先の必要なものを見極める目を持ち始めた。


「虚無」の奈落に落ちた精神世界で、ナウシカは失墜した己の魂を悲しみ励ます、己が捨てた世界にあるものたちの声を聞く。大海嘯の広がろうとする土鬼の一地方で土着の信仰を守る僻地に至った時、即身仏になろうとする「上人さま」に出会い、
「あなたはたくさんの者に守られていますよ。人間だけでなくたくさんの生き物にも・・・」
と教えられていた。

無謀にもただひとりで世界の重さを背負う行為に出た娘だったが、実際その重みに耐えられるはずはない。そもそも個人で世界の重さを背負う必要はないはずなのだ。しかし博愛の心を持つ娘に時代をつなぐものとして天啓は与えられた。故に王蟲は天啓の娘の魂を愛でてこそ大海嘯から守ったのだ。
ナウシカはなにものからか選ばれた「特別すぎた娘」なのである。
「特別すぎた娘」は愛されるべき立場である。
もちろんひとりの心優しき娘としての資質を愛されているに違いはないのだが、それ以上の人智を超えた触媒が「特別すぎた娘」を愛されるべきものに仕立て上げる。


腐海は大地の毒を吸収し結晶化して清浄にする。役目を終えると枯れて崩れていく。
腐海の秘密を探求する「森の人」セルムにナウシカが心の目を通して誘われた先は、腐海の尽きる向こうに広がる清浄化された美しき大地だった。故郷でひとり地道に研究した腐海の謎と秘密の予測は間違いではなかったのだ。
ナウシカは絶望の先の希望を見出す。
セルムは、共に腐海の秘密を守りながら大いなる腐海で静かに生きないかと求婚のように誘う。腐海に入ることはすなわち世を捨てることと同然である。人界を去ることは「虚無」に陥る原因となった博愛主義のジレンマをごく消極的に解決する方法である。
心の目を通して清らかな大地の存在を知り体感したナウシカは、甦ったばかりのそれを傷つけてはいけない、人類が自身の業である愚かさを知り、支配でなく共生できるようになるまで腐海の真実を心の糧とした上で秘密を守り、苦悩に満ちた人界で生きていくことを改めて決意する。
ナウシカは人間の愚かさを知ると同時に、人間が本来持つ感情の豊かさからもたらされる優しさを知っている。ナウシカの生まれ育った風の谷は辺境小国の暮らしのなかで民衆が貧しくとも心豊かに助け合い、喜びと苦難を分かち合い生きていることを自身の生い立ちから知っているからだ。トルメキアや土鬼の民衆もそう生きていって欲しいと心から願い、ナウシカは再び立ち上がるのである。

清浄化された大地の存在が、ナウシカの腐海との共生を謳う博愛主義を、人類の正道だと認める。果たして娘は己のジレンマを乗り越える。
ナウシカの復活は「特別すぎた娘」の降臨である。
大海嘯は治まり、人間の住める土地をますます減らした環境で如何に平安を得るか、ここから物語の方向性が変わる。


(続きます)





特別すぎた娘 その3

トルメキア戦役の大義はなんなのか。それについての詳しい説明はない。
しかし所詮戦争に正義はない。殺人と制圧、強奪、略奪に正当化する術はないのだ。大義名分は参戦国それぞれにあり、それぞれに違う。双方にとっての正義があり、双方に正しく確実に双方に誤りがある。憎悪は更なる憎悪を呼ぶ。血で血を洗う地獄絵図が繰り広げられるばかりなのだ。
個人が如何に崇高な精神と信念を持とうともイデオロギーを動かすのは困難である。
それを動かすことができるものが歴史に名を残すのだろう、結果的に正しかろうが誤りがあろうが。


王蟲には種族全体に崇高な精神が宿ることをナウシカは心を通わすことで知っている。
腐海と蟲は人類にとっての忌わしい脅威と捉えられているが、ナウシカにとってはひとつの大いなる生命体で、王蟲はその長たる偉大で高貴な種であるという敬愛を持っている。同様に故郷の民を愛し旅の途中で知り合い交流した人々を愛しむ博愛主義の娘である。

土鬼神聖皇帝は代々超常の力を持つとされている。多くの部族の集合体国を統べるため国内のさまざまな土着の古い信仰を弾圧し、聖都シュワに残された古の技を盾に自らを神聖なる頂点として僧会を運営し民衆に崇拝を強制させ恐怖政治を執っていた。
早期の戦勝を狙い、古の技を用い腐海の木を人工的に生み出して兵器化するのだが、これが大海嘯を引き起こすきっかけとなってしまう。

人造の腐海の木の突然変異体である粘菌が、膨張し移動しながら人間の土地を次々に飲み込んでいくのをなんとか鎮めようと、人類の愚の骨頂に落胆しながらもナウシカは奔走するが手立ては見つからず、せめて一人でも多く助けようと被害が予測される土鬼領内をメーヴェで飛び回る。
ナウシカは生きている命を少しでも多く救おうとしているだけで、別に民衆から崇拝されたいわけでも感謝されたいわけでもない。瘴気から逃げ遅れた多数の死者たちを埋葬することも出来ず、助け出せない多くの命が自分の手の届かない何処かにあるだろうことも知っていて、ただ自分に出来る救出作業をしているだけなのだ。人間がどれだけ愚かでも命あるものを見捨てることはナウシカには出来ない。人類が滅びるべき穢れ呪われた種族であったとしても生きている命は等しく価値のあるものなのだ、というナウシカの信念がある。

ナウシカの指示に従って大海嘯の波に飲み込まれる寸前で無事に瘴気の届かない山地に避難することができた民衆からはナウシカは「白い鳥」と称えられ、救いの神の使いとして崇拝の対象にすらなり始める。土鬼の土着の信仰に「神の使いである白い翼の使徒」という教えがあったが、神聖皇帝により弾圧されていた。
民衆が破滅的な状況の中のわずかな希望を「白い鳥」のナウシカに見出したのだ。

ナウシカは自らも愚かな人間のひとりであることを認めている。探求の旅を続けるためにやむなく兵と剣を交え切り捨ててしまうこともあった。自分を守るために盾になって散っていった命もあった。その現実をナウシカは痛切している。
王蟲という種族の崇高な精神は、欲望に塗れ愚かで穢れた人間より遥かに尊いと思っている。呪われた人類のひとりたる自分すら疎ましく思うほどに博愛の心は揺らがんばかりで、ついにナウシカの心は「虚無」に捕らわれ絶望の淵に心が彷徨うこととなった。

いつしかナウシカの与り知らぬところで「神の使い」と称えられ人々を導く立場に祭り上げられていく一方で、ナウシカは自身の個人的な感情に揺さぶられ大海嘯という惨状の傍観者として耐えられず絶望する。
死に行くナウシカの父ジルが
「おろかなやつだ・・・たったひとりで・・・世界を守ろうというのか・・・」
とナウシカの旅路を案じている。

ナウシカが数々の人間の命を救ったことは事実である。しかし如何に人間の手によって引き起こされた事とはいえ大海嘯という大きな現象になってしまった事態を、単独の手でなんとかしようとすることそのものが無謀である。
大海嘯が、人類がますます汚す大地の傷を癒すために起こる現象、という事実はナウシカにとって博愛精神のジレンマに苛まれることであった。
娘はごく個人の感情の揺れを解決できず、世界を捨てたのだ。


(続きます)



特別すぎた娘 その2

映画版のヒロインは正しさと清さを全面に押し出した像だった。ヒロインの苦難と悲しみはそれらに後押しされた一面性のもので、キャラクタを把握しやすく主人公の立場を大変わかりやすく格付けたものだったと思う。その対照として、大変わかりやすい悪の面を見せたのがクシャナである。
原作マンガにおける彼女たちはキャラクタに多面性を見せる。
ナウシカは正しくあるが直情的でもあり、清さの影にエゴイズムも見える。クシャナは冷酷さの裏に繊細さと孤独を見せる。主人公はナウシカであるが、描写される量に差はあれどクシャナもまた重要なヒロインであろう。
ヒロインたちは戦争という不吉な影に晒されている。ヒロインたちに平安は容易くは許されない。ヒロインたちはそれぞれに影を纏う。

ナウシカはトルメキア第4皇女クシャナ率いる土鬼辺境制圧軍に加わる。
拒否できない政治的理由によるものだ。次期族長として単純に正義を謳える立場でなく国の利益のための計略と打算を要する立場である。ナウシカが根本的には平和を愛する娘であることに間違いはない。出撃要請に応えるのは国の自治権を維持するため、いわば国の防衛のためである。
しかしこれは詭弁である。

トルメキア国王家内にそもそも権力争いの欲望と陰謀の火種がある。正当な王位継承権を有しカリスマ性のある第4皇女クシャナは兄皇子たちと父国王からも疎まれ戦乱に紛れ殺害せんと狙われている。クシャナはクーデターの機会を密かに狙いながら進軍していたが、土鬼に裏でクシャナ進軍の情報を流す兄皇子たちの姦計に陥る。ナウシカも否応無く巻き込まれ、戦争の現実と人間の醜い欲と愚かしさを見せ付けられることになる。

現実は伝聞と想像を遥かに超える。その渦中に足を踏み入れ自分の目で見るまでは本当の意味では理解していなかっただろうナウシカは、風の谷の次期族長としての責任と重圧を背負いつつも、厳しく慎ましくとも安息と小さな幸せも与えられていた少女でもあったのだ。

かねてより腐海が瘴気を吐き出す原因が汚染された土にあることに気付き、蟲と心を通わすこともできるナウシカは、それらが人類の業苦であれ敵ではないことを知っている。人類の領分をわきまえれば共生する道を模索できるはずだ、と信じていた。しかし人間の愚かしい争いは止まず、自分も立場と盟約ゆえにそれに加わざるを得なかったが、もしも戦争の現実を目の当たりにしていなければナウシカが人類が自ずと破滅に向かおうとしてしまっている流れを認識することはなかっただろう。皮肉な話である。
ナウシカは戦乱の中で王蟲との心の交流により大海嘯を予感し、戦列を離れ世界の行く先を見極めようとひとりで旅立った。

「お前はお前の道をいくがいい、それも小気味よい生き方だ。私は私の血みどろの道をいく」

クシャナの言葉である。


(続きます)



特別すぎた娘 その1

さて、『風の谷のナウシカ』の原作マンガについてである。
アニメージュコミックスのワイド版で全7巻、映画版はその1~2巻までのストーリーを一部改変して制作されている。

高校生になったばかりの頃に知り合った同級生から、まだ観ていなかった『天空の城ラピュタ』のビデオを借りることができ、後日その人を含めた数名の同級生とラピュタ談義からマンガ話、他のアニメ映画のあれこれなどの話で盛り上がった放課後があった。
それに参加していたメンバはOVAなんかも結構観ていて、ワタシはそういう分野はあまり知らなかった。あれ知ってる?これは?的質問を投げられて、「いやー、知らなくて申し訳ない。ナウシカなら何回も観てるからわかるんだけど、その程度だねー」なんて答えたのだが、「あ、じゃあ原作は読んでる?」とさらに質問されてしまった。
で、当時のワタシは原作を読んだことがなかった。「まだ連載終わってないから話途中だけど、映画版よりもっと面白いと思うから読んでみなよ、貸したげる」と翌日には持ってきてくれたのが、当時出てた4巻までだったと記憶する。ありがたく借りてそれこそ舐めるように読ませてもらった。
後にやはり手元に置きたくて自分も1巻から買い揃え始めたが、結局最終巻が出たのはワタシがすっかり大人になってしまってからだった。

途中長く連載が中断した期間もあったらしくそれが一因とも言えるのでないかと思うのだが、作者がはじめに想定した物語の着地点と実際のそれとはおそらく違ったであろうと推測する。
こういったことは多くの人気長編マンガにあることだから別に珍しいことでもないし、全体として物語が破綻していなければ、説明不足の点などは読者が勝手に想像したり妄想したりして楽しめばいい。風呂敷の広げすぎは物語を無駄に引き伸ばし収束を阻む恐れはあるが、そもそも風呂敷は広げて使うものであるからして、広げ具合の程度の問題なだけである。

『風の谷のナウシカ』を始めから一息に読むたびに感じるのは、萩尾望都『百億の昼と千億の夜』を一息に読んだ時の感覚に似ているということである。
頭がぐるぐるする、というのとはまた違うのだけど、なにかが引っ掛かっているようでいて、それが何なのかはわからない。どこか煙に巻かれているような気がする。その感覚が似ているのだ。これは大変個人的な感覚、というか印象なので、「両作品のどこが似てるっていうんだ?」と突っ込まれてしまうと、いや全然話は違いますです、どうもすみません、としか申し上げられないのだが、読後感の感覚がワタシにとって似通っているのだから仕方ない。

停止する場面もあるが基本的にナウシカは物語を疾走し続ける。物語の時間軸の移動に少々の前後はあれ、ずっと先にすっ飛ばされることがない。
クシャナがナウシカについてこう語る。

「あの娘は自分でも気づかずに我々を渦の中心にみちびいているのだ」

ナウシカはロードムービー的に、時に受動的に時に能動的に出来事に応じ、また疾走して行く。ナウシカの心の赴くままの旅路は目指す渦が何処にあるのかわからない。これか?と思った渦に到着したかと思えば実はまだ先に渦があって、目指す渦の位置が測れない。
続きを待つ間、目指す渦の位置が測れない不安定感は物語の最終着地点の想像を阻んだ。

いよいよ迎えた結末、それは明るい未来への旅立ちなどではなく、永い黄昏の時代の生命の命運すべてを「この星」に託し、人類の業苦を受け入れつつも生ある限り必死に生きていこう、というものだった。この結末には相当の賛否両論が生じたようである。高度文明の復興の可能性を拒否し破壊したナウシカの決断は正しかったのか否か、といったところではないだろうか。


説明が読者の想像に委ねられた点も多いのでワタシの個人的解釈で述べることが多くなるが、あくまで一読者の勝手な見解ということでご容赦いただきたい。


(続きます)







いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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