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作り置き

必ずというわけではないが、日曜には出来るだけおかずのストックを作るようにしている。
それは月曜からの毎食のお供にもなればお弁当の強力な味方にもなるのだ。


2012/04/21


左上から
・ひじきと干し大根の煮物
・もやしとハムの和え物
・ほうれん草の湯通し
・糸こんにゃくの炒め煮
・肉じゃが


本日の成果である。
ワタシが大変頻繁に作る常備菜ばかりだ。


もやしとハムの和え物は下の娘が妙に気に入っていて、ここのところ特によく作っている。ナムルっぽいものからの派生で作って定番化したものなのよ。とても簡単。

まず、もやしをさっと湯通し→湯切りしてしっかり塩を混ぜる→荒熱がとれたらレモン汁か酢をお好みの量混ぜる→味がなじんだ頃合でごま油をひとたらしでできあがり→ごはんがすすむ。


糸こんにゃくの炒め煮も下の娘のお気に入り。

糸こんにゃくをザク切りして湯通し→細かく切ったちくわと一緒にごま油でサッと炒める→酒としょう油、みりんを適量入れて水気がとぶまで煮る→できあがり。

今回はにんにくのみじん切りとにらのこま切りも入れた。いつもあるもので適当に。


ほうれん草は買ってきたらとりあえず湯通ししておく。これはあくまで下ごしらえだね。
それを適当な大きさに切ってかつおぶしかけてしょう油かけて食べたり、味噌汁に入れたり、ウインナー塩コショウで炒めたり、とにかく様々に使う。


ひじきと干し大根の煮物は、通常はひじきと切り干し大根の煮物である。
干し大根はワタシの母からこの冬もらったものだ。
冬場のみずみずしい大根一本丸ごとを葉元を残して四つ切程度に縦に刃を入れじっくり天日で干したものである。食感がポリポリして美味しい。
これを水でもどしたのと水でもどした乾燥ひじきとちくわを細かく切ったのとを出汁、砂糖、しょう油で炊いている。


肉じゃがは画像の都合で皿に盛っているが、実際はなべ一杯に作ってある。


適量とかものすごくわかりにくい表現で申し訳ないが、こうあってほしいとかこうあるべきとかいうそれぞれの調味の適量があるものです。それがいまいちわからない人はホントに少量ずつ加えてしょっぱ過ぎたり濃すぎたりしなければ良いだけなのです。うちにも計量スプーンはあるけれど、普段の料理ではまったく使わない。毎回テキトーです。




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春の河辺

花粉症で春を憂鬱に過ごす者が家にはふたりいて、せっかくの陽気にも行楽は自粛ムードというのが毎春の恒例。故に花見にわざわざ出かけることはしない。でもあちらこちらで美しく咲き誇る桜を目にすることはいくらでも出来るから十分だ。

近所の河近くにずいぶん立派な桜が一本あって、日照も素晴らしく恵まれた場所にあるのに毎春周囲のものよりも遅咲きだ。それが週末ちょうど満開だった。


2012/04/17-1


河の土手に咲く野花も楽しませてくれる。


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ここで歌でも詠めばなんとも風流なのだが、あいにくワタシにそんな素敵なスキルはなく、デジカメ片手にニヤニヤ野花を見つめ撮影している怪しげな女でしかなかった。






大体我が家はこんなもんです

一昨日の我が家の晩ごはんのメインディッシュ(笑)の具テキトーオムレツに娘たちがケチャップで落書きしたもの。


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下の娘はお顔。
うん、小1っぽいほのぼの感←親バカ


2012/0413-1


上の娘はワタシのに「うふ」の文字。
自分のに書けや、と一応ツッコんでおいた。



一家揃ってありがたいことに卵アレルギーとは無縁で、こぞって玉子料理が大好き。
オムレツもプレーンだと副菜様々必要だろうが、めんどくさいのでうちはいろいろまとめてぶっこんで玉子で巻いて出来上がりにしてしまう。

最もベーシックな具材はミンチ肉と玉ねぎなのだが、そこにいろいろ冷蔵庫にあるものをぶっこんでしまう「おかんクオリティ」です。
画像の具材は、ベーシック具材プラス「じゃがいもとにんじんといんげんの煮物」の残りぶっこみ。味は塩こしょうのみ。

「じゃがいもとにんじんといんげんの煮物」はよしながふみ「きのう何食べた?」の5巻端書きを参考にして作ったもの。めんつゆはもともと買わないので、出汁、酒、砂糖、醤油で煮付けた。


あと魚肉ソーセージは庶民の味方です。
おやつに良し、ごはんに良し、つまみに良し。
ブロッコリはオリーブオイルと塩、黒こしょうかけると美味い。でも今回はお子様仕様でマヨネーズ。




貧相なネタへのニーズ

上の娘がこのブログをたまに見ている、らしい。
別に見られて困るようなことは書いていないから全然構わないのだが、そもそも若い娘が見てもなんも面白くない内容だと思う。


ある日「料理ブログやったらええのに」と娘が言った。
いやいや、ここも超気まぐれでしか更新しないのに別ブログとかありえん、というかなんでワタシが料理ブログ?その意図は?と問うてみる。


世にお料理系ブログというのは星の数ほどあるし超メジャーなクックパッドとかもあるから、お素人さんの料理画像というものはよく目にする。美味しそうな画像というのは写真の撮り方がやはり上手いのだろう。しかもテーブルコーディネイトというのだろうか、食器もキレイで小道具のセッティングも可愛らしい。
なんというか、特に洋菓子いわゆるスイーツを中心にご自分の手作りのものを披露されているブログとかはずいぶんと画像の演出がカワイイ系でしかも前説、レシピの紹介、作った感想の文の書き方やらも妙にカワイイ系が多く感じる。夕食の食卓を披露しているようなところの画像も、すわカフェめしか?みたいな見目麗しい演出画像を大量に見かけるし、お弁当ブログも然りである。

こういった風潮の当世で、色気が一切なくしかも大変質素な食卓を日夜構成するワタシが何故に料理ブログとな?と娘に問うたわけである。
娘の答えは「そういうものはそういうものでマイナーながら必ずニーズがあるはずだ」だった。


長い前説終わり。

娘の提案というか後押しというか、まあそんなものの勢いでカテゴリ「料理系」を追加してみることにする。過去わずかながら披露させていただいた料理画像を格納した上で僭越ながらその手の話題をたまに貧相な画像を交えて今後少しずつ公開させていただく所存。




初登校

下の娘が入学した小学校は集団登校を実施していない。登校経路は地域ごとに細かく指定されているのだが、「兄弟姉妹や近所の友達と誘い合って登校するように」ということである。

兄弟姉妹と言われても姉に当たる上の娘はもう中学生で登校時間も違えばそもそも通う学校からして違うし、近所の友達と言われても学区外の幼稚園に通っていたため近所にお付き合いのある友達はいない。
こどものことだからこれからあっという間に友達はできるだろう。けれど、本日の初登校にとりあえず一緒に登校してくれるような友達はまだいないのだ。

上の娘の時も今回と同じ状態だったので(というか当時お腹に下の娘がいたから今よりもっと身軽さがなかったと記憶している)初登校についてはなかなかに思案したのだ。

小学校はうちの目と鼻の先なのだが、指定の登校経路のせいでぐるりと若干迂回するような道筋である。近くにあってもきっといきなりひとりで登校するとなればずいぶん遠くに感じるかもしれない。
結局考えたあげく、上の娘の時と同様に今朝の下の娘の初登校は付き添って行くことにした。

新1年生にとって学校生活見るものすべてやることなすことすべてが初めてづくしなのだ。期待半分不安半分であろう。門を一歩くぐればそこからは娘がひとりでやっていくしかない世界である。不安は初登校に付き添うことで少しだけでも軽くしてやりたい、と思う反面やはりうん、過保護すぎる、と自戒する。でも幼い頃にしかこんな手助けもしてやれないものだろうから、なんて思いつつ通学路を歩いていると、どこからどう見ても新1年生のお母さんの姿があちらこちらに。なんだー、みんな心配は同じなんだなー、と。
上の娘の時には全然そういう姿を見かけなかったと記憶していて、その時たまたまだったか、それとも時代が変わったか、そのへんはよくわからないが、ともかく校内まで付き添っているお母さんが結構いた。娘は正門の少し手前で「もうここからはひとりで行けるよ!」と言ったので、そこで見送った。

娘が無事に学校に入ったのを見届ければワタシにできることは全くない。頑張れよー、思う。
ところが帰宅して家事を進めてみるが、どうにも正直上の空だった。いくら幼稚園で娘はきちんとやれていたからといって小学校は全然別の世界だ。

上の娘で一通り小学校生活は経験したけれど、でも上の娘への心配は上の娘に対してのもので、下の娘への心配は下の娘に対してだけのものなのだなぁ、と。持ち物とか行事とかの準備のような物理的なことは、何事も初めてだった上の娘の時より今回ははるかに余裕が持てるのだが、精神的なことはやはり娘それぞれに対してまったく別々に等しく、なのだなぁ、としみじみ感じた。


初登校の本日からしばらく新1年生は集団下校する。通学路と交通ルールをしっかり覚えてね、ということと、たぶん近くのお友達はこんなにいるんですよ、と知らせるための学校側の配慮かと思われる。
配布された週間予定表では昼前には帰宅の予定だった。

上の娘は本日は健康診断のみで午前早々に帰宅してきた。ワタシも午前の家事は早々に終えてしまった。
上の娘なりに妹のこれからの小学校生活を心配する気持ちはここ最近かなりうかがえた。持ち物の名前書きもずいぶん手伝ってくれた。
親バカ姉バカ状態である。なんとなくふたりとも落ち着かない気持ちで下の娘の帰宅時間を待っていた。とにかく初日が無事に終われば一安心なものだ、とふたりで思うからこそどうにもソワソワしていて、冷静に考えればホントにバカである。

下の娘はちょっと興奮気味に元気良く帰ってきた。もちろんこの先なにがあるかはわからないが、しかし初日を乗り越えたならばまずは一安心である。

娘なりになにか頑張ってきたのだろうか、疲れて昼寝してしまった。






入学式

本日は下の娘の入学式だった。
寒い、ホンマに寒かったぞ。
先日の爆弾性低気圧の嵐に続いての寒波再来。入学式場の体育館は底冷え半端なく、でも4月だからということで春物の衣服を纏う参列の新入学生保護者が大半だったのだが、いやあもう皆寒さに震えていたね、間違いなく。

さて、ここ最近未知の小学校生活への期待と不安がないまぜになった心持だったらしい娘は、式中新2年生が「ドキドキ1年生」を歌ってくれている時緊張もほぐれ一緒になって歌っていた様子だったし、さほどキョロキョロとしたりもしていなかったようだ。
いざ新入生として学校に一歩入ってしまえば、親は離れて見守るだけの立場となり本人が様々なことを覚えて慣れるしかないのだから、ありきたりだが事前に、頑張れよ大丈夫、としか言えないしね。


新1年生のエスコートをしてくれていたのは新6年生だったのが、みんなまだまだ可愛らしく優しく純朴な感じに見えた。
うちの上の娘もつい一昨年度までそんな生徒のひとりだったのに、一体全体どうして中学生になった途端一様に可愛げが無くなるのか、甚だ疑問だ、と上の娘本人に正直に投げかけたところ、「まだまだかわいいもんやんかっ」と変なポーズでアピールしてきたので、まあ確かに思春期反抗期といえども親に軽口たたいてくるくらいだから可愛いのは可愛いのだけれど、やはり小学生との可愛らしさとは違うんだよー、と思いつつあえてそれは言わないでおいた。

ところでなんというか、上の娘とともにワタシは「小学生の子を持つ親」を1度体験しているおかげで先の大体の様々な流れがわかっているので、今回の下の娘の入学に際して漠然とした不安がないというのはとても気が楽である。漠然とした不安なんて一番ホント気が気でないような状態に陥りやすいもんね。


昨年は上の娘の卒業・入学があって今年は下の娘の卒園・入学である。
でもこれで一旦ではあるけれども一段落。





ファンの愛ゆえに

人気連続ドラマが最終回を迎えてのちに後日談の特別編が制作されて評判上々なんてことはしばしばあるし、小説がシリーズ化してお馴染みの登場人物の性格や私生活の描写が掘り下げられていったりするあたりにファンが喜んだりするのも多いだろう。

好きな小説や映画、ドラマやマンガの登場人物たちの本編には描かれていない日常や本編終了後の生活を想像することはないですか?
ワタシははっきりきっぱり言って、幼い頃からむちゃくちゃありました。今もそーいうのものすっごい想像というよりは妄想する性質です。

こういうのは女性に多いのかしら?
いやぁ、きっと男性にもいっぱいいるわな、きっと。

で転じて、もしも~だったら?的な妄想も繰り広げませんか?
例えば不幸な立場に陥らざるをえなかった登場人物がもしも転機に別の選択をしていたらきっと結末はこう変わったに違いない、みたいな、そんな想像というより妄想。

その作品が好きすぎて作者の思惑以上のことを想像というより妄想してしまうのがファンの愛といいましょうか。インターネットの世界は凄まじいほどにお素人の妄想が氾濫していて、みんな結局”そーいうの”が好きなんだなぁ、ともはや感心させられる。


おせいさんこと田辺聖子氏の『私本・源氏物語』『春のめざめは紫の巻』は、氏の源氏物語への愛が生み出したであろうパロディ小説である。
ワタシが女子高生だった頃に偶然書店で見かけて入手して以来何度も読み直し現在も年に一度は目を通したくなる作品だ。

絶世の美男子である光源氏の原典には決して描かれることがないごくごく私的な側面を、おせいさんが想像というよりは現代風に妄想して描いていて、光源氏と関わりのあった女人らも、原典の儚くも美しい様とはきっぱりと一線を画し、しっかりと意思を持って恋路に立ち向かう姿が面白おかしく描写されている。

いつ読んでも愉快な気持ちになる。さあ明日も頑張りまひょか、という気持ちになる。そしてなにか美味しいものを食べたくなる。また、気取らず飾らずの中年っていうのもそれ相応の色気があって楽しいでっせ、と励まされるようだ。


源氏物語についてはこちらでもお話しているのでよろしければご参考に。




大処分祭り

実に3年ぶりに引越しか!?というほどにかなりの本気で大掃除をした。
3年の間にも定期的にガサ入れ的に大掃除はしてきたけれどそれでもいつしか溜まってしまう不用品は年月とともにその体積を増し、今回もゴミ袋をガシガシ消費している事態である。
思えば3年前はまだ自治体指定有料ゴミ袋ではなかったのだ。いまやゴミを捨てるのも金がかかって当然の時代。金銭を費やしゴミを処分するバカらしさが嘆かわしい。その上、埃かぶりまくったワタシの手はもはやガサガサのボロボロになってしまって湿疹まででる始末。

きちんと整理整頓ができないのに収集癖のせいで物を溜め込むばかりの相方に、
「もしも万が一急にワタシとあなたがいっぺんにコロッと死んでしまったら、それでなくても両親を亡くして途方に暮れるだろうにその上我々のわけのわからない大量の物を片付けさせるとんでもない苦労を娘たちにかけてしまうことになるのだが、それについてはどう思う?」と、このたび改めて言ってみた。
究極論である。
が、しかし現実問題であるはずだ。

別にワタシと相方の先が短いと思ってるのでなくまだまだこれからだと思っているが、娘たちは我らよりも更にまだまだこれから、なのだ。娘たちの所有物と大事な物はこれからこそ増えるのだ。彼女たちの先達である我らが自分らにとって本当に必要で大事な物をきちんと選別することはすなわちお手本なのだから、とワタシは思う。

今回、いわば思い出グッズなのだが後生大事に20年保管していたものをバッサリまとめて処分した。それはワタシにとっての砦みたいなものだったので、これまでどれだけ他の物を処分しても一等初めに保管の部類に仕分けしてきたのだった。でも四十路の自分にはもはや単なる「青春の未練」みたいなものに変化してきたようにふいに感じ、なればこそ、と思い切る勢いを得たわけだ。

オシャレ部屋なんかにゃあ程遠いし(しかもそういうのは別に目指していないし)まだまだ手付かずの箇所もある現状だけれども、それでも娘たちが(今回ずいぶんと戦力になってくれた)声を揃えて「家中がすっきりして空気が澄んだような感じ」と言うので、成果はしっかり上がっている模様。

そしてちょうど新学年新学期を迎えるのがエエ感じ。





いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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