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帰還

昨夜は小惑星探査機はやぶさの地球帰還ネットライブ中継と某大型掲示板のスレッドを必死に追った。

日本宇宙少年団(YAC)のネットライブ中継はダウンがかなり頻繁で一体なんの中継をやっていたのかもよくわからないほどのものだったが、19:51のカプセル分離の際の管制室の拍手はこの中継で聞けた。
NECの管制室ライブ中継は、こういった場所を目にする機会なぞこれまでにほとんどなかったものだから、関係者であろう人々が忙しく行きかう様子などをかなりじっくり観られて興味深かった。しかしやはりダウンも多く、某大型掲示板でWindows Media Playerで観た方が画もみやすい、という何方かの書き込みを頼りにブラウザ視聴からそちらに切り替えようとするもやり方がさっぱりわからず、相方に至急救援を求めたところ快く処理してくれ、その後特に問題なく観られた。念のためにブラウザの方もアクセスしたままにしておいたが、ある時間からはずっとダウンしたままだった。NASAの管制室よりもずっと簡素に見え、見た目に派手であれば良いというものではないにせよ、どうにもJAXAの運営の大変さを垣間見たような気持ちになった。
はやぶさ大気圏突入1時間前くらいから和歌山大学宇宙教育研究所によるカプセル落下推定地オーストラリアのウーメラ砂漠からのライブ中継にアクセス。時が近づくにつれダウンが頻繁になるも、まさにその時の、はやぶさが花火のように美しく燃え上がり地球に帰還するその姿をライブで観ることができて、深夜近くにも関わらず「おおーーーっ!」と歓声をあげてしまった。
いろいろなネット中継はとにかくアクセスするのすら困難だったり繋がってもダウン続出で、如何に多くの人々がアクセスしていて、多くの人々がはやぶさの帰還を心待ちにしていたか関心があるか、それをよく表していたと思う。

その後。NHKとNASAによる更に鮮やかなその時の映像も観たけれど、ライブで観た和歌山大学のそれは感動のレベルが違った。

モノの擬人化、萌え表現に走りすぎるものはワタシもさすがにちょっとどうかと思わないでもない。しかし「それは所詮機械だ」と一刀両断にはできない思いもある。
はやぶさは確かに機械にすぎない。しかし、現状で人が遥かに到達することができない地まで旅し、満身創痍の身ながらも長い長い道のりを地球に向けて戻ってきた姿に、多くの人は感動したのだ。はやぶさはもちろん機械で、そのシステムや構造を用いてあらゆる困難を地球の関係者の鋭意努力で克服したわけである。しかし「たかが機械」と片付けるにはあまりにドラマティックな旅路だったのだ。
モノにはその後ろに必ずそれに関わるあまりに多くの人々が存在するのだ。彼らの思いを背負ったとき、モノはただのモノではなくなる。
長年自分の生活を支え続けてくれた家庭電化製品が壊れてしまった時、一抹の淋しさを覚える人も多かろう。
ワタシはワタシのためだけに存在してくれたiMacが昇天した時心から悲しかった。言いようのない喪失感を覚えた。社会が急速にネットありきになっていくその過程ずっとワタシのために稼動してくれたのだ。明日から一体どの子とやっていけばいいのだろうか?と途方にくれたのをよく覚えている。それから何代とパートナは替わったけれど、いまでも初代のあのiMacのことは忘れられない。
家庭用電化製品ですらこうなのだ。一体これまでにはやぶさに関わった人々の思いはどれほどのものか。

「所詮は機械だろう?」と話を片付けたがる人がいるとして、その人はお茶碗に残った米粒をどう思うか。短くなった鉛筆をどう思うか。モノの後ろに人がいるのだ。


はやぶさのイトカワへのタッチダウン前後、ワタシは下の娘の出産前後だった。通常のときと違う時間の過ごし方をやはりしていて、自分の趣味や興味の向くもの等、すべてシャットダウンした時期であった。遡る事、はやぶさの旅立ちの頃ワタシの身内間において、大変重大なことが多かった時期だった。やはりあらゆる自分のためだけのことをシャットダウンした時期が長く続いた。ゆえにワタシははやぶさのことをリアルタイムで詳しくは知らない。せいぜい一般報道で見聞きした程度だったのだ。

あれから7年。はやぶさの長い長い旅路を思う時、ワタシの身の回りの大きな変化をも思う。
義父は亡くなり、下の娘という新しい家族が加わった。その娘ももうじきに5歳になる。
如何にはやぶさが長い旅路にいたのか痛切に知らされる思いだ。

宇宙への挑戦、その旅というものは、どれだけの実験・考証・推測・計算があろうとも、結局はやってみないとわからない、というものなのだ。未知なわけである。今云われる宇宙の姿というものも、のちの時代に笑い飛ばされる説なのかもしれない。しかしそれに挑む人々がいて、そして一般人ならばぐるぐるするだけの思考を理路整然としようと努めているのだ。
はやぶさの放った最期の光は先導の光だと思う。
そしてはやぶさに感動を覚えた次世代が健やかに育つことを切に願う。


宇宙というものへのグルグルとしたワタシの感覚は不思議な心地よさをもたらす。「神秘」という言葉だけでは語り尽くせない「大いなる」なにかを感じて、それは更なる感動でじんわりと包み込まれる。






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Comment

みやこ | URL | 2010.06.15 13:14
はやぶさ。全く知らなかったくせに、この感動の瞬間だけは、この関係者になって、飛び上がって喜びたい!って話してました(笑
たしかに、この一生懸命帰ってきた姿に感動しました。
おなかの中にいたツモさんの娘さんが5歳になって、いろんなことがあって、そんな時間、はやぶさは宇宙で働いてちゃんと帰ってきた!そう思うと、なんだか日常もチョット空のうえから見るような大きな視野が広がる気になりますねぇ。そうですよね、この陸のうえだけに時間が流れてるわけではないんですよねぇ。
ツモ | URL | 2010.06.15 19:53
ワタシもまったくにわかファンです(笑)
でもはやぶさのおかげでものすごくいろいろ知りたくなりました。先月のあかつきとイカロスの打ち上げも早朝ライブ中継観たりとか。ド理系の世界すぎて脳ミソがちっとも追いつきませんが。


> なんだか日常もチョット空のうえから見るような大きな視野が広がる気になりますねぇ。そうですよね、この陸のうえだけに時間が流れてるわけではないんですよねぇ。


はやぶさにとっての7年はプロジェクトスタッフの方々の7年でもあるわけですが、帰還を喜んだファンの7年でもあるわけです。7年ってやはり決して短い時間じゃないんですよね。
通信以外に地球との交渉手段のないはやぶさが人の手の届かない地まで旅をして確かに帰ってきた、その事実が時間の重みを証明してくれているようでした。
とかく当世の人間は何事にも急ぎがちですが、腰をすえて時間をかけて物事に取り組むことの大切さを、はやぶさが教えてくれたように思います。

ボイジャーが気の遠くなるような長い旅をいまだに続けていますが、あてもなく向かう先に一体なにが待っているのか、考えるたびに頭がぐるぐるします。

宇宙ってホントにすごいなー、と思います。地球上の人間なんてあまりに小さきものですね。
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いらっしゃいませ。

ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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