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昭和という時代

清水義範『みんな家族』は「激動の昭和」を、時代に翻弄されつつめいめいの思いを持って懸命にあるいはしたたかにあるいは飄々と生きた「ふつうの人」の物語である。


ワタシは昭和の後半生まれで、もはや平成の世を生きる時間の方が長くなっているので、時代を語ることができるほどに昭和の時流に身を置いていたわけではないのであるが、まさに平成生まれの自分の娘たちを見ているとやはり自分は「昭和の子」なのだな、と思う。

激動の昭和、というようにすっかり「激動の」が枕詞のようになってしまっているが、致し方なかろう真実である。と真実である、なんて言ったところで、ワタシは伝え聞いたことでしかその激動を知らない昭和後半生まれなのだ。


昭和は長かった。時間的に長かっただけでなく、戦前、戦中、戦後、とおよそ同時代とも思えない巨大な変動があって、同じ昭和生まれと言えどもワタシとワタシの両親とはそのあらゆる価値観が違ってしまうほどに時間以上の隔たりを感じてしまう。
ワタシの両親は結構な地方出身で、戦後生まれであるのに、戦争からの復興が都心部に比べてずいぶん遅かったらしくまったく裕福とは逆の貧しい育ちだったようで、聞く限りは戦中の育ちの方々に似た環境だったとしか思えないほどだ。
格差社会なんて今は言うけれども、当時の地方格差は激しく酷かったようで、母の長年の友人である小母様は母よりも年上の戦中生まれなのだが、都心部生まれの小母様の子供の頃の生活は、小母様よりずっと年下の地方の戦後生まれのワタシの母よりもずっとずっとハイカラだったようだ。

そういった格差は両親に少なからずコンプレックスを持たせるものとなったのは事実であるが、しかしまた、
「真面目に努力すれば必ず得られる、どれだけ底辺であっても日々の努力が実を結び結果が出るだけの伸び代があったからこそ、なにくそ負けるな根性で頑張れた。大変だったことは多いが、可能性も大きくあった時代のおかげだ。」と言う。
昭和後半生まれのワタシが知る限り自分が生きている時代に、広く大きな可能性を感じられることがあまりない。むしろ悪い方ばかりの可能性が漂うばかりだし、やたら人数の多い世代なのにいまいち世の中の役に立たない世代になっているだけのような気がする。



ワタシは、両親を筆頭に縁戚一円の年配者からワタシの知らざる昭和の姿をやたらとよく聞かされる子だった。その方面での耳年増だったかもしれない。
ワタシが高校生くらいの頃だったと思うのだがある親戚筋の集まりの時、結構な年長者のおやじさんが熱心に文学談義を持ちかけてきたことがあった。確か「あなたはどういった学問の専攻を希望しているの?」と聞かれて「国文学を希望しています。」と返答したのがきっかけだったと思う。

話すうちにおやじさんの身の上話に展開したのだが、おやじさんは若い頃に文学を志しそういった同人参加もかなり熱心にしていて、その先人から本格的に文学者を目指すならば上京を、と薦められていたらしい。文学者としての将来を夢見てその誘いを受けたくてたまらなかったのだが、戦後の混乱期、長男として他の兄弟を食べさせなければならない立場であったためやむなくその夢を捨て置いた、という話だった。

子供には退屈な親戚筋の集まりなんぞでワタシもまさか、しかも年配者の方から文学の話を聞かせてもらえるとは思いもしなかったので、ずいぶん長い時間ふたりでお話させてもらったのだが(国語の授業よりもよほど有益だった)、おやじさんは若輩ものであるワタシが言うことも大変熱心に聞いてくれた。(女流作家について若輩ながら論じたと記憶する)

おやじさんは「捨て置いた夢の話をするのは未練を掘り返すだけなのでずいぶん長くこんな話は誰にもしたことがなかった。あなたはとても若くてでもその若い感覚で文学と向き合っていて、わたしにはそれがとても懐かしい気持ちだ。ぜひいつまでも文学を志す気持ちを忘れずにいてください」と要約するとそんな感じのことを言われたのだった。

酒の席での話しなのでおやじさんの話がどこまで本当なのかはさっぱりわからなかったのだが、ワタシの母曰く「おまえとなにを話してたかまでは聞いてなかったけれど、あの人があんなに楽しそうに話すのは見たことがなかったよ。」



『みんな家族』の主要登場人物のひとりである百瀬喜久雄にこのおやじさんの印象が重なる。(おやじさんは徴兵された年代ではなかったと思うが。)

ワタシの父方の祖父母は長崎の人で、原爆投下の日、爆心地から遠い有明海で漁に出ていて山の向こうにきのこ雲を見た、ただそれだけでなんともないのに被爆者手帳を交付された、なんて話をしてくれたこともあった。そういった話も年寄りの話だしなにより親族の集まりの酒の席での話だったりするのでどこまで本当のことなんだかわからない。でもみなそれぞれに生きる時代の話をしているのであって、ワタシがそれを聞くことができたのは悪いことではなかったのだ。
ちなみにワタシの弟はこの祖父から激しい長崎弁で日露戦争の話を熱心にされたことがあったらしく、じいちゃん日露戦争の頃ってまだ生まれてないんじゃないの?的疑問がありつつも、たぶん時代語りをしたかったのであろう、と親身に聞いたらしい。



ひたすら軟弱な方向に向かうとしか思えない我々の行く先に、昭和を語るものは一石を投じるものであると思う。
もっと頑固に、もっと寡黙に、もっとしたたかに、もっと強固に。そしてしなやかに。





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Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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