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感涙について

「感動」と「涙」が直結するのはすべての人間に該当する現象ではないと思う。
下の娘のお舞台的行事があって、観覧する保護者席から立ち上る「感涙することこそジャスティス」の空気はワタシには大変違和感を感じるものだった。

子供たちが元気良く演じる姿はワタシにとってはただひたすらに微笑ましいものだった。
こと自分の娘がピッシリと背筋を伸ばして立っている姿を見るにつけて「よしよし、ちゃんとやっていてエライぞ」なんて思ってニヤニヤしてしまう、といった具合だった。

ふと周囲を見れば感涙の嵐。皆がハンカチを手にし、目元をぬぐう姿ばかりが目に入った。
それはそれで美しい画だったのだが。

演目終了後、
「感動したわ!」
「私はあそこでもうダメだったわ!」
なんて賞賛の声の雪崩。
まあいわば親バカの嵐だったのだが、でもそれはそれで良いものだと思った。自分の子がかわいい、というのはとても素直な反応だ。もはや本能だ。いいものじゃないか。

で、「泣けたわよね!」
と賛同を求められてとても困ってしまうワタシがいた。


子供たちは頑張った子もいればテキトーな子もいて、でも全体的にとてもパワフルで楽しそうだったし、ただ、追求するならいくら園児でももっともっと上手くやれただろうと思う。園がそういう方針でないわけだ。でも別にそれで良いと思う。
自分の子がちゃんと役割を果たしていたことは褒めてやりたいと思ったし、とにかく厳かとはかけ離れていたとは思うけれど会場はとても和やかな雰囲気だったから、それはそれで素晴らしかったと思う。

参観した保護者たちが我が子の晴れ姿に感涙するのはそれぞれの家庭になんらドラマが人の数だけあるが故のことであろうから、それらもワタシは美しい、と思う。
でも、ワタシが感涙しなかったからといって別にそれは無関心だったわけではないのだし、「なんで泣けないの!?」的反応はホントに苦笑してしまうというか、感動に対する人の反応は千差万別なのだから、異端児的に見られることは大変困ってしまった。

イベントのたびに「子の写真を撮りまくることがジャスティス」もまったく同様である。一様の様式を常識にされても困る。


思い出すに、大昔のワタシの結婚式の折、ワタシはニコニコというかニヤニヤというか、とにかく妙に笑っていたと思う。嬉しいから笑う、はワタシの最高級の喜びの表現であり、それが溢れ出て涙するという現象は理解できるが、ワタシはそういったタイプではなかった。
うちの親父もまさにそういう人だったようで、ヴァージンロードに向かう寸前の親父は全開の笑みを周囲に振りまいていて、ああワタシはやはりこの父の娘なのだ、と実感したのだった。
母も同じタイプで、ワタシの両親は感涙よりは全開の笑みで感動と喜びを表現する人だったそのDNAをばっちり引き継いでいると思う。


近年「泣ける本」だの「泣ける映画」だのがやたらとピックアップされているのを目にするが、感情の露呈を涙に直結させることがすべてではないのではないか。





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ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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