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最終巻感想1

さて。
「さて」と言いながら左手をあげる友人が昔いて。「その手はなに?」と問うと「さて、だから左手、サテ。」と答えた彼女は元気だろうか。(誤字チェック現在、サテと見てサティに見えたワタシ。うおー、サティはワタシの青春じゃーっ。Je te Veuxっつーの、みたいな。)

閑話休題。『のだめカンタービレ』総括を書こうと決めて、いきなり最終巻の感想から。

「2台のピアノのためのソナタ」おお、原点回帰だ。

のだめと千秋でピアノ協奏曲、なんてことだったらワタシはこれまでの『のだめ』を投げ捨てていたかもしれん。そんなベタな、少女マンガの王道みたいなオチは絶対絶対許せん。チューして終わり、みたいなベタさは許す。でもふたりの将来は見事に大成功!みたいなのは砂吐きますってんですよ。そこは可能性を匂わすだけで十分なのデス。読者の勝手な想像というよりは妄想の余地がある方が良い。

最終話は力技のまとめ感が確かにかなりある。けれど長編の最終話なんていうのは所詮こういった類のものになるのが当然ともいえる。読者すべてが納得のいくようなものというのはありえない。それは特定のキャラクタへの萌えだったり、読者各々の味付けの好みがあったり、そういったものが賛否両論を生むわけである。
全23巻という長編に属するマンガを読んできた読者にとって、作者の描いたエンディングへの満足感度は特に重要であろう。こんなに長くつきあってきたのだから、という執着から、である。

創作において、作家の意図を100%読者が理解するのは不可能だとワタシは思っている。これはワタシの経験上に基づく結論だ。伝わらないのは、それは作家自身の技量が問題であることがもちろんあるけれど、受け取る側の感情が作家とは別の個体のものであることが最大の要因であると思う。作家が意図せぬ以上に受け取り側が脳内補完してみたり、解釈の思わぬ誤解があって然るべきだからだ。
作家がノリだけで描いてしまうエッセンスもあろう。辻褄合わせのために強引に纏め描くこともあろう。マンガならば長期連載の果てに画柄まで変化することも多くある。それらを読者が如何に寛容に受け止め、如何に己の中で気持ちよく消化するか、どうにも描写が足りないように思えた部分を如何に己の良いように補完するか、である。この器量は楽しめるかどうかに大きく影響するのだ。何故読者にその努力を要するか、それは娯楽だからである。
所詮マンガである。大衆娯楽である。これを日本が誇る文化とする風潮はそれはそれで結構だが、日常の多大なストレスやらから解放されたいために手近な娯楽としてマンガを手にするならば、読者も如何に自分の都合の良いように読むかが大変重要である。楽しむために都合よく使ったり取捨選択すれば良い。エンタテイメントなんだぞ。現代、ドえらく祭り上げられた小説化先生だって、当時はスキャンダルやらに塗れた流行作家だったりしたわけなんだから。文化っていうのは、そういったものなんじゃないのかな。



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ツモ

Author:ツモ
30代後半女。
→四十路突入。
→もうすぐバカボンのパパ越え。
→日本女性の平均寿命に向かって折り返し地点あたり。別にそこまで長く生きたいわけでもない。とりあえずの目標はこの先20年くらい。

暴れまわった娘時代の反動か、自宅にひきこもりがち。相方、娘二人と古都の端っこで地味に暮している。


気まぐれにしか更新しないくせに、記事がやたらと長くなる傾向にある。

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